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changeさん のコメント

エリザベス1世と信長、秀吉、田中角栄を比較した国家発展、国家拡大論であり、ち密性には欠けた比較論としてみると面白い。一方、このような比較論を日本は乗り越えた段階にあるという認識が欠かせない。日本の場合、米国を凌駕する経済発展を遂げたが、さまざまな障害、特に為替問題を乗り越えられなくなり、日本独自の新しい国家形成の道を選択してきた。表面上の貿易額が大幅に減り、成熟国家としてのあるべき姿を日本なりに選択してきたといえる。拡大経済でなく、国家として、国民としての生きていく道が、経済的利益の安定性を選択したといえる。幸い、拡大経済の受益が国民全体に及び、内需がGDPの6割以上を占め、国民の所得が大幅な貯蓄に回り、企業の利益が内部留保として巨額になっている。海外債券は1000兆円を超えている。債務は670兆円ぐらいであり、世界一の債権国家である。完成品生産先を韓国、中国、タイ、インドネシアなど東南アジアに拠点を移し、海外投資による日本への送金が大きくなり、海外投資の配当、利息が巨額になっている。最近では、海外からの観光客が増えサービス収支が大幅に改善されている。日本の食事の豊富さ、観光資源の豊富さにおいて日本のすばらしさを日本人が認識しただけでなく、海外の人たちに認められている。日本という国が、成熟した国家として異次元の政界にあるという認識が必要なのでしょう。成長経済、拡大経済論は時代遅れであるという認識が日本人自身に必要となっている。
No.2
54ヶ月前
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出典: G.B. サンソム、『世界史における日本』(岩波新書、一九五一年)  サンソムは一九〇四年に駐日英国大使館に配属。コロンビア大学東アジア研究所の初代の所長。前掲書よりの抜粋。 サンソムが指摘する秀吉時代は、田中角栄の時代を彷彿させるようにも思われる。 〈エリザベス時代は乱暴な時代、惨酷な時代であり、多くの点で粗悪通俗な時代であったが、そこには希望と勇気をもって、ゆるぎない確信と純粋な情熱でもって世界に立ち向かう血気盛んな若さというようなあらゆる好ましい素質が一世紀位の間はあったのであります。〉 〈私は信長や秀吉の時代にエリザベス時代をきわ立たせるものと同じ素質を見出すものであります。日本は封建主義体制の終末と社会改造への懸命な努力をむかえます。いまや新しい人々が権力を握り、新しい地平線が日本にとって開いて参ります。世間には冒険心があり、前の時代ならば世に出なかったであろう人々の心に大胆
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。