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フレデイ タンさん のコメント

明治時代になって絵の官費留学生がフランスに送り込まれた。日本に油絵を普及させる為だった。当時、フランスで先端を駆けるゴッホ、モネ、ゴーギャンは日本画の虜になっていた。官費留学生の目的が油絵の日本への普及だからスタンダードな絵だけを追っかけていたんでしょうね。

因みに夏目漱石はイギリスに官費留学生として渡ったが、鬱病になり、下宿に引きこもりしていたらしい。その後の夏目漱石は日本近代文学の代表格となった。

私が何を言いたいかは油絵で世界的な日本人の画家は藤田嗣治が登場するまでいなかったとの私の独断が油絵の官費留学生が追っかけたのがスタンダードの絵だったから成立するという仮説です。尤も、藤田嗣治が世界の名声を得たのは大戦後日本画壇が進駐軍に忖度し藤田を戦犯として提供しようとしたことから、そんな画壇は許せないとして藤田嗣治がフランスに事実上の亡命を成功させてからであるから、藤田は日本人でなくフランス人と呼ぶのが正しいかも知れません。
No.3
62ヶ月前
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1:ゴッホから弟テオへの手紙 (標題の引用に加え) 〈北斎を見て「あの波は爪だ、船が爪に掴まれているのを感じる」と君の手紙にあったけれども、北斎も君に同じ嘆声をあげさせたのだ。彼(北斎)の場合は線とデッサンによっている。〉出典:『ファン・ゴッホ書簡全集』(みすず書房、一九六六年) 2: エミル・ベルナールも著書『ゴッホの手紙』(岩波書店、一九五五年)に次の文章を記している。 〈我々よほど日本版画に熱中していたと告白せざるを得ない。〉 〈我々はこれ(版画)を眼と精神の糧にしようと誓い合った。近代芸術に対する日本の影響を忘れてはならない。それは人々を活気づけ、装飾的感覚を蘇らせ、鑑賞家を在り来たりの無型式な引写しや平凡さから離脱させるのに役立った。ヨーロッパの伝統的な形式からはみ出す危険が伴ったにもかかわらず、我々によい流派を形成させた。〉 〈ブルターニュ地方の旅行中、アルルから友情のこもっ
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。