(標題の引用に加え)
〈北斎を見て「あの波は爪だ、船が爪に掴まれているのを感じる」と君の手紙にあったけれども、北斎も君に同じ嘆声をあげさせたのだ。彼(北斎)の場合は線とデッサンによっている。〉出典:『ファン・ゴッホ書簡全集』(みすず書房、一九六六年)
2: エミル・ベルナールも著書『ゴッホの手紙』(岩波書店、一九五五年)に次の文章を記している。
〈我々よほど日本版画に熱中していたと告白せざるを得ない。〉
〈我々はこれ(版画)を眼と精神の糧にしようと誓い合った。近代芸術に対する日本の影響を忘れてはならない。それは人々を活気づけ、装飾的感覚を蘇らせ、鑑賞家を在り来たりの無型式な引写しや平凡さから離脱させるのに役立った。ヨーロッパの伝統的な形式からはみ出す危険が伴ったにもかかわらず、我々によい流派を形成させた。〉
〈ブルターニュ地方の旅行中、アルルから友情のこもっ
コメント
コメントを書く「日本国の正体」で外国人の目を様々にご紹介していただいているが、私なりに、日本という国が西欧諸国の人の目に移っている姿をおぼろげにつかむことができる。さらに、アジア人の目、特に、韓国、中国人でない人たちの目が欠落しているのではないかという気がしている。アジア人、特に、韓国、中国を除いた場合の目は、極端に違って見える。韓国人、中国人とかなり大きな差があるのです。日本人に近いとみているのです。
唯物的な見方、唯心的な見方は、経済的合理的見方と生活規範的な宗教性を持った生き方を形作っていくが、西欧的考え方は、日本人だけでなく韓国、中国を除いたアジアとの差が大きいような気がする。物質的な環境など生活を左右するものに対して西欧人は征服するという考え方を持っているが、精神的な人生の在り方は、宗教に深く依存し、宗教に支配されているといえる。心と物質的生活を明確に区分しているといえる
日本人は、心と物に対する区分けがなく,「道」という一つの在り方が、生活だけでなく、人間関係のありかたをきめているのであり、西欧人の合理主義が、全面的に日常生活を支配しないのです。ただ、現在、若者たちは、心と物を区別した生き方を始めており、近い将来には、また、西欧とは違った日本人としての対応が出てくるのではないかと思っているが、西欧、韓国、中国とは違って在り方を選択していくのではないかとみています。
>>1 追記
世界で人口が一番多くなっていくイスラム世界の人たちと日本人との関係も重要であるが、イスラムの人たちから、日本に対する批判を聞くことが少ない。イスラムの人たちが日本をどのように見ているかが、今後極めて重要な気がする。日本が米国に全面的に賛成せず、イランに対する行動を独自に選択しているのは、極めて正しい在り方であり、精神的に分かりあえるイスラム世界との関係強化が大切な気がしている。
明治時代になって絵の官費留学生がフランスに送り込まれた。日本に油絵を普及させる為だった。当時、フランスで先端を駆けるゴッホ、モネ、ゴーギャンは日本画の虜になっていた。官費留学生の目的が油絵の日本への普及だからスタンダードな絵だけを追っかけていたんでしょうね。
因みに夏目漱石はイギリスに官費留学生として渡ったが、鬱病になり、下宿に引きこもりしていたらしい。その後の夏目漱石は日本近代文学の代表格となった。
私が何を言いたいかは油絵で世界的な日本人の画家は藤田嗣治が登場するまでいなかったとの私の独断が油絵の官費留学生が追っかけたのがスタンダードの絵だったから成立するという仮説です。尤も、藤田嗣治が世界の名声を得たのは大戦後日本画壇が進駐軍に忖度し藤田を戦犯として提供しようとしたことから、そんな画壇は許せないとして藤田嗣治がフランスに事実上の亡命を成功させてからであるから、藤田は日本人でなくフランス人と呼ぶのが正しいかも知れません。