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changeさん のコメント

このようなご投稿があっても、PCで簡単に一般常識から専門知識に出会えるので非常に助かります。

竪穴住居・堀立柱建物・礎石建物と大きく分けられ、中国大陸や朝鮮半島は早くから礎石・土台建物が普及していたようだ。

日本では、自然災害が多く地震・台風に耐えられるように剛構造の堀立柱建物が普及していた。柔構造の礎石建物は古代城柵遺跡・国府跡・寺院跡に見られたが、普及していったのは近世にはいってから、18世紀後半幕末期以後に一般化していったようだ。
先日、学生時代の仲間たちと伊勢神宮に出かけた。20年に1回同じ形で建て替えを行っているが、正殿は堀立柱建物であり、今回のご投稿と重なり合ったのは何かの機縁があったのでしょうか。
No.1
60ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
出典:スーザン・B・ハンレー『江戸時代の遺産』(中央公論社、一九九〇年) ハンレーはワシントン大学教授。『江戸時代の遺産』(中央公論社、一九九〇年)より引用。 ハンレーは徳川幕府の意義を〈成立及び社会的、経済的、人口学的な展開という点で、少なくとも普通の日本人に与えた影響は明治維新と同じように重要であったと思う〉とする。 農業における変化について〈小規模な家族毎の耕地を生み出した。その結果名子等の奉公人が小作人となり、結婚もし、自分の家族を持つようになった。特に温暖な西日本でみられた小規模な家屋の急増だけでなく、おそらくは前代未聞の効率での人口増加〉としている。 都市では〈商業が栄え、都市が建設され、職人や商人階級による文化が、都市に群がる集団としてはかつてなかった程の富をもった新たな大衆の中から育ってきた〉としている。 元禄時代について〈大抵の日本人の生活は戦国時代とは大きく違ったもの。
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。