出典:スーザン・B・ハンレー『江戸時代の遺産』(中央公論社、一九九〇年)
ハンレーはワシントン大学教授。『江戸時代の遺産』(中央公論社、一九九〇年)より引用。
ハンレーは徳川幕府の意義を〈成立及び社会的、経済的、人口学的な展開という点で、少なくとも普通の日本人に与えた影響は明治維新と同じように重要であったと思う〉とする。
農業における変化について〈小規模な家族毎の耕地を生み出した。その結果名子等の奉公人が小作人となり、結婚もし、自分の家族を持つようになった。特に温暖な西日本でみられた小規模な家屋の急増だけでなく、おそらくは前代未聞の効率での人口増加〉としている。
都市では〈商業が栄え、都市が建設され、職人や商人階級による文化が、都市に群がる集団としてはかつてなかった程の富をもった新たな大衆の中から育ってきた〉としている。
元禄時代について〈大抵の日本人の生活は戦国時代とは大きく違ったもの。
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竪穴住居・堀立柱建物・礎石建物と大きく分けられ、中国大陸や朝鮮半島は早くから礎石・土台建物が普及していたようだ。
日本では、自然災害が多く地震・台風に耐えられるように剛構造の堀立柱建物が普及していた。柔構造の礎石建物は古代城柵遺跡・国府跡・寺院跡に見られたが、普及していったのは近世にはいってから、18世紀後半幕末期以後に一般化していったようだ。
先日、学生時代の仲間たちと伊勢神宮に出かけた。20年に1回同じ形で建て替えを行っているが、正殿は堀立柱建物であり、今回のご投稿と重なり合ったのは何かの機縁があったのでしょうか。
現在、安倍史観がアジアで顰蹙を買っている。今後、この史観を日本が返上しない限り、日本はまともに見られることはないだろう。
岩倉具視が主導した明治史観は江戸時代をくそみそに批判する。今もその史観は日本人に深く根付いているように感じられる。江戸幕府は秀吉の半島大陸への侵略を否定的に捉え、近隣諸国との平和を樹立した。西欧列強の帝国性にノーをつきつけ、貿易相手を中国、オランダ、朝鮮に絞って、行った。幕府の安定政策は庶民の生活安定に寄与している。パリやロンドンが人口15万人前後だった時に江戸は百万都市だったのだ。
私は老年になり、列島縦断の旅を心がけている。九州から奥州まででも広くて長い感じがする。水田民族が九州に上陸し、東へ北へと列島を開拓して進むスピードの速さを感じる。16世紀に合衆国東岸に上陸した欧州人はフロンテイアを目指した。彼らの西海岸に達するまでのそのスピードと列島を水田で覆いつくす日本人のスピードは時代こそ違えほぼ同じじゃないかと錯覚するほどだ。
その水田文化が江戸時代に頂点に達した。日本人は江戸時代をもっと勉強し、誇りにすべきだと私は考えている。