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りゃんさん のコメント

「彼らが牢獄から釈放される時に無条件であるわけ無いだろう」(推測)
「日本共産党とは大づかみで占領軍とは合意があったはず」(確信)
「お分かりかな?小学生君」(罵倒)

わたしが
いろいろ憶測するのはかまわないし当然でもある。しかし確実な証拠もないのに「そうかもしれない」が、いつのまにか「そうにちがいない」にかわって、「そうは考えない」人を罵倒しはじめるのがダメなわけですね。
と書いてるそばから、やっちまってますねえ。

「何かと勉強不足に遭遇すると、証拠を見せろとか」って、証拠がないから信じられないのに「勉強不足」ってのはなに?なんかの宗教?

ま、共産党は暴力革命を志向していた、というのが現在の通説でしょ。それを本当にくつがえすのなら、ものすごいニュースになるんだから、頑張ってね、とおもいますよ。けど、いちばんめんどくさいところを頑張らないで、疑問をていする相手を罵倒してりゃいいんだから、楽なものだ。だから反ゲンパツでもただの頭数なんですよ。
No.9
61ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
A: 事件概要 三鷹事件は、 1949 年(昭和 24 年) 7 月 15 日に国鉄三鷹駅構内で起きた無人列車暴走事件。下山事件、松川事件と並ぶ国鉄三大ミステリー事件の一つとされる。  連合国軍占領期の 1949 年(昭和 24 年) 7 月 15 日午後 9 時 23 分国鉄三鷹電車区から無人の 63 系電車 4 両を含む 7 両編成が暴走。三鷹駅の下り 1 番線に進入した後、時速 60km 程のスピードで車止めに激突し、そのまま車止めを突き破って脱線転覆した。これにより、脱線転覆しながら突っ込んだ線路脇の商店街などで、男性 6 名が車両の下敷となり即死。また負傷者も 20 名出る大惨事 その後始まるレッドパージの動きを先取りするように、共産党員やその支持者が当時多かった国鉄の、人員整理が進められている最中に起きた事件 1950 年(昭和 25 年)東京地方裁判所(鈴木忠五裁判長)は、非共産党員の竹内の単独犯行として往来危険電車転覆致死罪により無期懲役の判決 一
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。