A:事件概要

三鷹事件は、1949年(昭和24年)715日に国鉄三鷹駅構内で起きた無人列車暴走事件。下山事件、松川事件と並ぶ国鉄三大ミステリー事件の一つとされる。

 連合国軍占領期の1949年(昭和24年)715日午後923分国鉄三鷹電車区から無人の63系電車4両を含む7両編成が暴走。三鷹駅の下り1番線に進入した後、時速60km程のスピードで車止めに激突し、そのまま車止めを突き破って脱線転覆した。これにより、脱線転覆しながら突っ込んだ線路脇の商店街などで、男性6名が車両の下敷となり即死。また負傷者も20名出る大惨事

その後始まるレッドパージの動きを先取りするように、共産党員やその支持者が当時多かった国鉄の、人員整理が進められている最中に起きた事件

1950年(昭和25年)東京地方裁判所(鈴木忠五裁判長)は、非共産党員の竹内の単独犯行として往来危険電車転覆致死罪により無期懲役の判決