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フレデイ タンさん のコメント

正直申し上げて、サイドカー付きのオートバイには私は良い印象を持てなかった。私みたいな古い世代にはサイドカーはヒットラー総統のパレードを連想させるからだ。

歴史を否定する安倍政権だから、恐らく、まっさらな気持ちでデザインを採用した結果、図らずも、ヒットラーのパレードと似たようなものとなったのだろう。これに気を良くして、安倍氏が「俺もやってみたい」と思っているかも知れない。安倍氏ならスタイルも悪く無い。受けるかも知れない。

私は旅に出ると温泉、名所は避ける。中国人がたくさん来ているから、彼らに占領させているのが良いと考えてのことだ。代わりに古い集落の横丁、裏通りを散策する。奈良を訪れる時は、名所旧跡を訪ねない。周辺の裏通りを歩くことを旨としている。そこには低い塀が両側に沿ってあり漆喰が塗られている。その風情から感じるのは韓国の古い街のヤンパンの集落のものだ。

現代韓国語でしきりに使われる「ウリナラ」は漢字に直すと「我が国」だが、珍しく残っている韓国の古語でもある。奈良はその発音から言っても、韓国からの観光客には特別の響きを持って居るに違いない。

私はドイツとイングランドにある共通の基盤が日本と韓国にもあると考えて居るものだが、安倍政権下で盛り上がっている深刻な不和は「一体、どうして?」と言わざるを得ない。
No.2
60ヶ月前
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天皇陛下の即位を披露するパレード「祝賀御列の儀」の警備の仰々しさに驚いた人が多かったのでないか。  その時護衛のサイドカーは一台3530万円だったという。滅茶苦茶な値段だと思う。  日本の歴史の伝統で、そのように仰々しい警護をして威嚇するのが伝統だったか。京都御所を見ていただきたい。戦いを生業とする武士の城とは異なる。  それは奈良時代から続いた伝統だ。  天皇の警備を高めていったのは、政治利用を行った明治時代からだ。 A-1  孫崎享著『日本国の正体』より。奈良時代に関する部分。 奈良時代の隆盛とコスモポリタニズム 〈奈良が日本の首都であったのは、紀元七一〇年から七八四年までのたったの七四年間。〉 〈短期間に思想・文物が目覚ましい発展を遂げ繁栄し、今なお当時の光明が感じられる。〉 〈奈良の芸術が、日本のどの時代の芸術にも増してさまざまなモチーフ、様式、影響、示唆に富んでいるのは、まさにコスモ
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。