changeさん のコメント
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『戦後史の正体』より。
中曽根首相は米国との軍事協力に踏みこみます。米国での「日本列島を不沈空母にする」という発言が注目を集めました
一九八二年一一月二七日、中曽根政権が発足します。(●図版と解説⑲)中曽根首相は翌年一月、すぐに訪米し、レーガン大統領と会談します。(●図版と解説H)この訪米では首脳会談もさることながら、「不沈空母」発言が注目されました。
中曽根首相がワシントンに到着した翌日、ワシントン・ポストの社主、グラハム女史が自宅で朝食会を開きます。グラハム女史はワシントンの社交界の中心人物です。ケネディ、ジョンソン、マクナマラ、キッシンジャー、レーガンなど、歴代大統領と親交のあった人です。ニクソン失脚につながるウォーターゲート事件を大々的に報じたのは、ワシントン・ポスト紙です。中曽根首相はキッシンジャーと近い関係にありますから、グラハム女史の家によばれるのは不思議ではありません。
原理原則を主張する社会党が元気であり、米国の様々な要求に対して、比較的にはっきりと自民党が「NO」は「NO」と答えていた時代である。
故中曽根氏の総理大臣の期間は1983~1987であり、1960代から続いていた自民党と社会党の国対密室政治が常態化していた。1985年に残念なことであったが,社会党は高坂逸郎氏という社会主義理論の支柱を失うと、一時期土井ブームがパット開いたが、「現実路線」と「原則路線」対立が表面化し、衰退の道をたどった。高坂氏の理論は現在の中国に少なからず影響を与えている。そのあと出てきた政党は、「日本新党」から「民主党」と移っていくが、同じように内部で路線対立があり、野党低迷の時代が続いている。今振り返ってみると、中曽根氏在任中は社会党が元気な時代でもあった。政治が分かりやすく懐かしい時代でした。
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