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なしさん のコメント

米国ほどではなかったがロシア帝国もやはり圧倒的に
日本より協力だった。

それなのに日露戦争に勝った。

勝った後になぜ勝てたのか「局後の検討」を十分にやらなかった。
成功体験にただ酔いしれた。

そして思考停止して柳の下に二匹目のドジョウを求めた。

そして破滅がやってきた。


局後の検討をしない性格は今でも変わらない。
日米戦争を絶対に勝てなかった戦争と決めつけて
分析をしない。

古今東西の戦争で絶対に不利な戦争に勝ったケースは
山ほどあるのに。

もちろん戦力通りに決まったケースがはるかに多いが。

わたしは昭和天皇が松岡洋右の上奏どおりに関東軍を
シベリアに送りソ連軍をドイツ軍と東西から挟み撃ちにすれば
歴史は変わったかもしれないと思う。

ただ一度のチャンスをヒロヒト氏は臆病風に吹かれて逃した。

それならば真珠湾も臆病風に吹かれるべきだった。
No.2
60ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
日本は真日本時間 1941 年 12 月 8 日未明、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対し航空機および潜航艇による攻撃を行った。 こうして始まった戦争により、死者は三一〇万人余(内軍人軍属二三〇万人、沖縄住民を含む在外邦人三〇万人、内地での戦災死亡者五〇万人)の被害を出した。  まず、世界の戦略者たちは、「戦略上、日本の最大の愚策」とみなしている。真珠湾攻撃の理解には、英国の生存のためには、①米国の参戦と、②ドイツのロシア攻撃が不可欠であった。前者においては米国に中立法がある。従って独・日の攻撃が必要であった。それで日米交渉で日本を追い詰める。その最大は日本に石油輸出の全面禁止を行い、日本軍に攻撃するしか手段がないと思わせていった。日本陸軍は中国本土(満州ではない)から撤退すれば、米国の追求は困難であったとみられるが、東条はこれを受け入れることはできなか
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。