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changeさん のコメント

パーレビ時代までのイランが懐かしい。中近東では断トツで近代化が進み、貿易量も多く日本との結びつきが強かった。イスラムは宗教規律が厳しく、利権の腐敗が、40年間経済成長を止めているといえる。経済成長で人心が疲弊することより、人心が守られる方が望ましいのかどうか、極端に傾くことが一番望ましくないことなのでしょう。

どこの国の社会も、利権の配分をどのようにするか、その分配に納得性があればに、内紛・いざこざが起きることがないが、納得性が得られなければ、内紛が起きてきて関係のない国民が巻き込まれ殺害されてしまう。このような非道な事は社会の構造に関係ない。
イランの場合は、社会的・経済的矛盾が噴出し、宗教の原点に返ることに集約され、、1978年に始まったデモから19
79年にイラン革命があり、パーレビ国王はエジプトに亡命した。

当時、イランに持ち込み個展が開けなかったが、1980年にトルコイスタンプールで個展をひらいたようだ。故加藤卓夫さんのラスター彩製造の執念が道を開いたが、18世紀に忽然と姿を消した製造技法などすべての資料が集まらない中でご苦労されたようである。

日本とイランの友好が脈々と引き継がれていることは、パーレビ時代何度も訪れた事のある人間にとってはうれしいことことです。私のようにイランを良く知っている年代の人がいるうちに、再度昔のような交流を取り戻してほしい。本来民主的な考えが支配しており、米国はじめ西欧・日本との関係の方が友好関係を築きやすいはずである。
No.2
60ヶ月前
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転載:加藤卓男:ラスター彩の復元に生涯をささげた陶芸家、 nippon.com ・美濃焼の産地として知られる岐阜県多治見市は、 3 世紀前に姿を消した伝統陶芸「ペルシャ・ラスター彩」の復興の地。陶芸家の加藤卓男は、 20 年近くに及ぶ試行錯誤の末、長年の謎だったラスター彩の製法を再現することに成功。現在は息子の加藤幸兵衛が父の遺志を継ぎ、イランの関係者と密接に協力。 ・ 300 年前に途絶えてしまった古代ペルシャの陶芸技法が現代の日本で再興、陶芸家の加藤卓男( 1917 〜 2005 年)が幻の陶器と呼ばれるラスター彩をよみがえらせたのは奇跡に近いこと。 ・卓男は 20 年にわたる試練の時を経て、この壮大な試みを実現。ラスター彩復元の手がかりを解明し、その成果は息子の加藤幸兵衛へ。 ・ラスター彩は 9 世紀のメソポタミアで誕生、西アジア全域に広まり、同地域の陶磁器芸術の頂点。ラスター彩の特徴である神秘的なきらめき、金を
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。