• このエントリーをはてなブックマークに追加

changeさん のコメント

ラスク自叙伝によると、ラスクとボーンスティールの二人は、米国が日本を占領する前に、ソ連が朝鮮半島を南下占領してしまう恐れがあり、どこに境界線を敷くか苦慮した。首都ソウルは外せず、そばに38度線があり上司に提案したところすんなり通り、ソ連も同意した。

戦争末期の日本の植民地時代38度線より北側は関東軍司令部の監督下にあり、南側は朝鮮軍司令部指揮下にあった。半島をソ連軍が南下時関東軍と戦い北側を占領した。朝鮮半島の分断は、たまたま日本軍の担当していた地域が分かれていたことが遠因となっているのかもしれない。孫崎さんはこのブロブでは触れていないが、7月刊行されたら手配してみる。
No.4
54ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
何故南北は38度線で分断されているか。 今日、朝鮮半島は38度線で分断されている。私達はこれに何の疑問も持たない。 だが、世界史歴史地図をご覧になってみていただきたい。歴史上、朝鮮半島で38度線で国の境界があったことは一度もない。  あるいは日本地図で、東京・神奈川、東京・山梨、山梨・埼玉、山梨・長野、長野・群馬、群馬・新潟の県境を見ていただくといい。直線なんぞない。自然の山や川が境界だ。  朝鮮半島も同じだ。38度線を越え、川が流れ、山々は連なる。  何故、38度線が出来たのであろう。そして、どの様な経緯で出来たのであろう。  私は『朝鮮戦争の正体』を書いたが、何故、朝鮮戦争が起こったかというのを学ぶうちに、38度線の形成と関わっていることがわかった。  日本は1945年前韓国を併合した。当然朝鮮半島を全体としてである。 第二次大戦が終わり、日本が降伏した。しかし、多くの日本人がまだ朝鮮
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。