フレデイ タンさん のコメント
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米軍が鴨緑江に迫った時、中国内は戦争参加に向け、指導部の意見は割れていたのです。 林彪、 高崗、は反対ないし消極派です。積極的参入は毛沢東、周恩来だけです。後々の中国政治を見れば、この時、反対ないし消極派であった人々はその後、失脚していきます。 (1)1950年10月4日の構図
〇即時出兵論者:毛沢東、周恩来
〇出兵反対派 :高崗、(林彪?)等
〇即時出兵の潜在的支持者:朱徳、鄧小平、彭徳懐
〇出兵消極派:劉少奇、陳雲、帳聞天、李富春等
林彪や高崗の軍関係者が反対ですと、軍関係者の中から支持者を出す必要があります。ここで急遽彭徳懐を任地、西安から呼び寄せます。彭徳懐は対日戦、対国民党との戦いで功績をあげた著名軍人でした。北朝鮮への出兵に関しては、林彪や、東北部の軍人達が反対しています。その中で、著名軍人の支持がどうしても必要です。出兵をめぐり、厳しい対立がある中、毛沢東は急遽、彭徳懐を会議参
毛沢東は蒋介石贔屓のスターリンを心底嫌っていた。勿論、蒋介石を支援し続けた米国も敵だった。林彪が司令官を辞退したのは、林彪にとっては不幸だった。林彪の米軍との戦いにしり込みする態度から毛沢東が林彪はスターリン或いは米軍側に通じていると見るかも知れないと推測することも林彪程度の頭では出来なかったのだろう。実際にどうだったかは分からないが、そういうものだと私は思う。
以上のように考えると、岸信介と東条の関係に私の憶測は及ぶ。岸信介は米国有力筋と日本の大陸侵略当初から実に近いのだ。岸信介は軍人ではないが、対米戦争が始まったときから、林彪みたいに腰が引けていたのではないか。幸いしたのは、岸が文官だったことだ。戦後すぐに岸は占領軍に貢献している。
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