changeさん のコメント
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私は石川県小松市の出身だ。ここは九谷焼の産地である。子供の頃、宴会は各家庭で行った。当然酒が出る。主人は徳利や盃を「これは誰々の作で」と自慢する。そんな雰囲気の中で育ったのが影響したのか、私が最初に買った日本の美術品は陶芸で、九谷ではないが、河本五郎氏の花入れだった。
外務省時代イラン・イラクに勤務した。イランでは4千年、5千年前、土器を作っている。中央アジアにも勤務した。この地の陶芸は中国とペルシアの双方の影響を受けている。だから中国とペルシアの陶芸に高い関心がある。
私が勤務したテヘランには「ガラス・陶芸博物館」がある。ここでは正倉院の代表的宝物の一つ、白瑠璃碗と類似したものを展示している。ラスター彩の陶器もある。こんなこともあって、元駐日イラン大使と芸術について話していた時、彼は面白いことを述べた。
「日本人とイラン人は類似している。日常品を最高の美術品にする。ペルシアに絨毯が
俗世間の行動は、だれでも行動に束縛がある。政治的に言えば、「右とか左」であり、言動の基準が「右左」の原理原則が一切の言動を束縛する。
「道」は、一切の原理原則がなく、「分別の無分別」であり、瞬時に幻滅する。剣道とか柔道の瞬時の技であり、自然にでた技であり、説明しようがない神業なのでしょう。何故、このような行動が取れるかといえば、0点に立っており、束縛するものなく、「無行動の行動」が可能になっているからでしょう。
孫崎さんの「思想」が「右左」に偏れば、どちらかの人間が接近してくるが,「其行弧」といわれるので、接近者が少ないのでしょうか。接近者が少ないということは、孫崎さんの思想が「時代と場所」を超越した書物となって,後世の人たちが必ず見直すことがあると信じています。「すり寄るものがあり迎合すれば必ず利用される」教訓を生かしていきたい。
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