りゃんさん のコメント
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私は外務省国際情報局長の時、月一回位の頻度で、米国情報機関の東京支局長とホテルオークラで朝食を共にした。特段仕事の話はなかった。国際情勢や、日本の政治情勢を取りとめもなく語り合った。
その頃、映画「プライベート・ライアン」がヒットしていた。監督はスピルバーグ、主演はトム・ハンクス。筋は次のようなものである。
米国はノルマンディ作戦を成功させたが、まだフランスの多くはドイツ軍の支配下にある。この時期、陸軍参謀総長マーシャルの下に、戦死報告が届く。ライアン家の四兄弟のうち三人が戦死したというものだった。残る末子ジェームズ・ライアンは一兵卒でフランスのドイツ軍支配下の地域にいる。ライアン家の四人が全員死んだとなると、米国世論に悪影響を与える。マーシャルは一兵卒ライアンの救出を命ずる。命令をうけた大尉は部下 6 名と通訳を連れ救出に向かう。この作戦に軍事的利益は何もない。結局ライアンは救出されるが、救
ところで、外務省国際情報局長の孫崎さんと会食していたのは、 米国情報機関の東京支局長であった。この二人が対等の友情を育んでいたらしいことは、記載からうかがえるが、しかし米国情報機関の東京支局長としてのかれは本国にどのように孫崎さんを報告しただろうか。
「わが国(米国)の占領政策は大成功し、政府の要職にある者も、性格はいいけれども、国(日本国)の指示どおりに働くことに逡巡を抱いている。まして一般国民をみると米国のもたらした消費生活のなかで踊り狂いながら、単に口先だけ反米を唱え、中国や北朝鮮を支持し、それを何か格好のいいことのように思っている者がいる。こういう国民なら、われわれはこの先も日本を支配できるだろう」と報告しただろうというのが、わたしの想像だ。
孫崎さんは「 今日、世界中、権力は善を行う機関とは思えない。」と書く(※)。しかし、遅くともソクラテスが悪法にも従うべきかと考えた頃から、国家権力は善を行う無垢な機関ではなかったのだ。しかし、人にとって特別な国はある。ソクラテスも、アテナイ市民を意識しながら毒杯をあおいだというのが、わたしの考えだ。日本国は孫崎さんに生活の安定を与え、自己研鑽や自己実現の機会を与え、退職後も元大使の肩書きを与えている。一般に、こういう国が人にとって特別でないはずがないだろうとおもう(※※)。
※ 孫崎さんは、「世界中」と書き、また「権力」と書いている(国と限定していない)ところにも注目したい。
※※ また、孫崎さんが、自己の意思で奉職した公務員であったことも、見逃せないとおもう。「ソクラテスの弁明」には、 「本当に正義のために戦おうとする者は,私人でなければ身を全うできません」という一節がある。映画の救出隊たちは、細部は忘れたが、徴兵されたものであったはずであり、映画とも孫崎さんの立場は違う。
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