フレデイ タンさん のコメント
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私は1999年イランに大使として赴任した。出来るだけ早く現地の社会に溶け込みたいと思う。しかし、イランはイスラム教指導体制である。そう簡単に社会に入れない。そういう時に、イランの経済人から自宅に呼ばれた。喜んで出かけた。行くとパーティの真っ盛りである。楽団がタンゴやワルツの曲を演奏している。人々は踊っている。イランの美女もいる。私はそれまでに二回ソ連に勤務した。ソ連では KGB が大使館員に色仕掛けで迫るケースが多々ある。昔、駐ソ英国大使と、駐ソ・仏大使夫妻が美人局にはまり脅かされている。私はテヘランでのその場の雰囲気に異常を感じた。生バンドで音楽を流せば当然外に聞こえる。イランでは革命防衛隊が、イラン人が西側文化にかぶれないか目を光らせている。主人に「近所の人は文句を言わないか」と聞くと、事前に金銭をあげてあるから大丈夫だという。異常だ。人々がダンスに興ずる間、しばらくして私は退席した。
パキスタン、マレーシア、インドネシアで回教徒の子供たちがコーランを暗唱している情景を映像で見ることがあるが、そのコーランはクラシックなアラビア語らしい。日本で源氏物語を素で読み理解する人は稀でしょう。コーランのアラビア語は上記の子供たちにとって我々に対する源氏物語以上に難解ではなかろうか。その意味でも、回教徒の子供たちの暗唱努力はいじらしい。
日本のお坊さんもお経を唱える。お経の文を見ると漢字ばかり。お坊さんに尋ねたことはないが、ちゃんと意味が分かっているのだろうか。中世のヨーロッパでは協会の牧師はラテン語で説教した。信者はラテン語を理解できなかったらしい。モスク、寺はそれぞれクラシックアラビア語とクラシック漢語で今も唱えられる。最近のキリスト教会はその国の国語で説教が行われる。その為か、キリスト教は今も旺盛だ。先日もトランプが聖書を振りかざし、黒人暴動に対処していた。十字架の戦闘性に違和感を持たざるを得ない。
最後の二つ。
回教徒に言わせると、コーランは翻訳禁止と言う。異教徒言語への翻訳は黙認なんでしょうね。もう一つ、コーランへの冒涜は絶対に許されないと言う。岡崎氏はそういうことをご存じだったんだろうか。
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