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随想⑤ 美人局
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随想⑤ 美人局

2020-07-13 08:10
  • 9

 私は1999年イランに大使として赴任した。出来るだけ早く現地の社会に溶け込みたいと思う。しかし、イランはイスラム教指導体制である。そう簡単に社会に入れない。そういう時に、イランの経済人から自宅に呼ばれた。喜んで出かけた。行くとパーティの真っ盛りである。楽団がタンゴやワルツの曲を演奏している。人々は踊っている。イランの美女もいる。私はそれまでに二回ソ連に勤務した。ソ連ではKGBが大使館員に色仕掛けで迫るケースが多々ある。昔、駐ソ英国大使と、駐ソ・仏大使夫妻が美人局にはまり脅かされている。私はテヘランでのその場の雰囲気に異常を感じた。生バンドで音楽を流せば当然外に聞こえる。イランでは革命防衛隊が、イラン人が西側文化にかぶれないか目を光らせている。主人に「近所の人は文句を言わないか」と聞くと、事前に金銭をあげてあるから大丈夫だという。異常だ。人々がダンスに興ずる間、しばらくして私は退席した。

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外交官・美女・ダンスパーティーの話題には興味がない。いつの時代も同じでしょう

コーラン日本語訳著名な学者というのは、井筒俊彦のことであろうか.同氏であると、岩波文庫で上中下の3巻がある。井筒氏は世界的イスラム研究者である。
井筒氏を知ったのは、「大乗起信論」を意識の形而上学として解説した間文化的哲学書がある。この本は1年に2度ほど読み直して10年以上になる。「心を読み解く書」として大切にしている。

根本的に、「コーラン」は翻訳を許されず、ポエムであり、内容を理解することより、朗誦を聞くと、何か特別な感慨が湧き上がる。中東でCDを何度か買い、聞いてみると、意味は分からないが何とも言えない気持ちを抱く。

岡崎氏は、品格がなく「汚い」といったのはポエム自身の内容を捉えていったものでしょう。哲学的には仏教だけでなく西洋哲学と全く異なるものでないことを「意識形而上学」では詳しく説明しておられる。

No.1 52ヶ月前

イランの美女というのは、ホントに美女そうですからねぇ…よく頑張って帰りました!武勇伝だと思います。
コーランに興味がわきました。でも、一生読むことはないと思います。

No.2 52ヶ月前

コーランの日本語訳を私は読んだことがある。私は固より宗教には関心がないが、読んでみたのは、仕事上、付き合いを余儀なくされる回教徒の内面をある程度でもいいから理解する為だった。岡崎氏の「汚い」という受け止めは無かった。むしろ、人種や民族を超越するところが多く現れ、面白く好感が持たれた。

パキスタン、マレーシア、インドネシアで回教徒の子供たちがコーランを暗唱している情景を映像で見ることがあるが、そのコーランはクラシックなアラビア語らしい。日本で源氏物語を素で読み理解する人は稀でしょう。コーランのアラビア語は上記の子供たちにとって我々に対する源氏物語以上に難解ではなかろうか。その意味でも、回教徒の子供たちの暗唱努力はいじらしい。

日本のお坊さんもお経を唱える。お経の文を見ると漢字ばかり。お坊さんに尋ねたことはないが、ちゃんと意味が分かっているのだろうか。中世のヨーロッパでは協会の牧師はラテン語で説教した。信者はラテン語を理解できなかったらしい。モスク、寺はそれぞれクラシックアラビア語とクラシック漢語で今も唱えられる。最近のキリスト教会はその国の国語で説教が行われる。その為か、キリスト教は今も旺盛だ。先日もトランプが聖書を振りかざし、黒人暴動に対処していた。十字架の戦闘性に違和感を持たざるを得ない。

最後の二つ。

回教徒に言わせると、コーランは翻訳禁止と言う。異教徒言語への翻訳は黙認なんでしょうね。もう一つ、コーランへの冒涜は絶対に許されないと言う。岡崎氏はそういうことをご存じだったんだろうか。

No.3 52ヶ月前

面白いなあ

No.4 52ヶ月前

>>3
英米にかぶれ、完全に骨抜きになった情けない男が
英米文化に精神を汚染されバイアスのかかった目で
イスラムを見た心情の吐露でしょう。

宗教嫌いのわたしでもあの男からの悪口雑言からは
イスラムをかはいたくなります。

一神教は決して布教をしてはならない宗教です。
それは、お前の偽りの神を捨て、唯一まことの
わが神を信ぜよ、と言うに他ならないからです。

殺されても文句が言えないビヘイビアです。
事実、多くの宣教師が殺されています。

イスラムがコーランの翻訳を認めないのは大変
結構なことだとずっとそのことには交換していました。

イスラムはカトリックの野蛮に比べればずいぶんまともです。

No.6 52ヶ月前

交換はもちろん好感。

ちゃんとチェックして、コメントする、をクリック
しているのですよ。
それなのに、その瞬間交換に戻っちゃってる。
ああ、うちのマックもとしをとったなあ、持ち主同様。

No.7 52ヶ月前

>>6
私もイスラムはまともだと思います。

No.8 52ヶ月前

美人局に効くワクチンはない。予防薬もない。
しかし、実は「仮にも特権階級の大使たる者、美人局にハマッてナンボのもの!」━そんな世界でないか。
天木直人氏の「さらば外務省!」にある件-
「有能な者と無能な者、よく働く者と働かない者、天木君どの組み合わせがいいと思うかい。無能でよく働くのが一番困るんだ。無能な者はむしろ働かなくてよい。有能で何も仕事をしない者が一番いいんだ」
大昔観た「マルサの女2」で新興宗教の教祖が裏では俗物ぶりを発揮していたが、「知らぬは信者ばかりなり」はイランも決して例外でないのだろう。オーソドックスな宗教もまた大衆支配の道具的側面が大いにあると思う。そのために大衆を酔わせるべく美しい詩のような響きの経典が用意されたのでないか。イスラム圏の旅行で朝夕あちこちで響き渡るアザーンがけっこう好きだったが、もし意味も分かる男がイランの美女にその一節でも囁かれたりしたらイチコロなのがハッキリした。

※アザーンはコーランの一節でなかった。失礼致しました!

No.9 52ヶ月前

岡崎氏はなぜ「汚い」と言ったのだろうか。孫崎さんは訳文のせいだと書いているが、想像をさそうところである。

最近、飯山陽という学者が、「イスラム2.0」という概念を提出している。同名の著書もある。アマゾンの内容説明には

ウェブにアップされた『コーラン』「ハディース」。一部の宗教エリートのものだった知識や解釈が、翻訳・検索機能により容易に直接触れられるようになる。原点回帰がすすむイスラム教徒の価値観は、SNSにより極めて早く広範囲に、そして心に深く刺さるものとなり拡散されていく。ヨーロッパでは「同化しない」イスラム教徒たちが、「移住」と「多産」によりイスラム化をすすめる、「静かなるジハード」が進行し問題となっている。

とある。

この概念をわたしなりに補足すると、
1、イスラム教では、ずっと長い間、啓典や重要な宗教文献を読んで解釈し指導するのは、イスラム法学者などの宗教エリートの仕事だった。
2、イスラム教には、非常に攻撃的、他者否定的な部分がある。たとえば日本でも「悪魔の詩」を訳した助教授が、おそらくイスラム原理主義者によって、殺害される事件がおきている(同様な事件は各国で起きている)。しかし、そういう部分はおおむね宗教エリートによって穏やかに解釈し直され(悪くいえばごまかされ)てきた。イスラム教が平和的だというイメージはそこに負う点がおおきい。
3、最近のネットの普及により、たとえばヨーロッパに移住したトルコ人のこども世代(当然コーランを原文で読むようなチカラは一般にない)も、ネットの検索機能などを使いつつ、コーランやハディースに、何が書いてあるかを、自分に読める言葉で知ることになる。かれらはコーランやハディースを読んだとはいえないかもしれないが、コーランやハディースに何が書いてあるかを、宗教エリートのフィルターなしに知ることになる。
4、かれらの一部はイスラム原理主義的になり、たとえば「イスラム国」に自発的に参戦するようになる。
5、目を転じると、キリスト教でも16世紀に宗教改革がおき、印刷術の普及とともに、民衆が直接聖書の内容を知ることになった。その影響はひとことではいえないが、ひとつ重要なことは、それが平和でなく対立の先鋭化をもたらし、有名なだけでもドイツ農民戦争だとか、30年戦争だとかにつながるのである。
6、岡崎氏の目からみれば、イスラム原理主義の攻撃的、他者否定的な部分が「汚い」とみえたのかもしれない。しかし当然ながら、イスラム原理主義者からみれば、岡崎氏のようなのが「汚い」のである。

飯山のイスラム2.0が正しければ、「イスラム国」などは、今後のイスラム世界の大変動の、ほんのはじまりなのかもしれないとおもう。もしかしたら、今後100年200年といった時間軸で世界史へのインパクトを与えるものは、米国や中国ではなく、イスラム世界かもしれない。

わたしはいつも、中国はウイグルをいじめすぎているとおもっている。しかし、若者を無理に死刑にして臓器を抜き取るようなビジネスまではじめているようでは、もはや手遅れであろう。

No.11 52ヶ月前
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