p_fさん のコメント
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1998年 10 月、 アブドッラー 皇太子 (現国王)が 27 年ぶりのサウジからの元首級の訪日を行った。小渕総理との間に「 21 世紀に向けた日・サウジ協力共同声明」に署名した。この時、政界や財界が最大級のもてなしをしている。
当時私は外務省の国際情報局長である。駐日 ジョルダン大使から電話があった。至急会いたいという。「困っている。助けて欲しい」。彼は「実は明日、 (ジョルダンの)アブドッラー王子が日本に来る。ところが日本の中東関係者は皆、サウジのアブドッラー皇太子の応接で忙しいと言って、誰もあってくれない。局長、夕食をしていただけないか。貴方の“国際情報局長”という肩書はもっともらしく聞こえる」
今はもうないが、当時、文京区西方に、民家を改造した洒落たフランス料理店があった。個室もある。大使と三人で夕食を共にした。個室の入り口には、王子が連れてきた警護官が立った。聞くと、王子は個人ジェット機でアメリ
ジョルダンはサウジアラビア、エジプト等と同様、ごく限られた親「米・イスラエル」アラブ国の一角だ。
> ハッサンは汎アラブ的思想を持ち、西側諸国とは距離を保っていた。
当然、米・イスラエルは「けしからん。国王になってもらっちゃ困る」となるだろう。
>「この地のCIA情報の三分のニは自分の情報だろう」
米国とのパイプの太さをアピールしているように聞こえる。
> アブドッラーの母は英国人で、英国士官学校を卒業している。
もう、将来国王にすべく元々米英によって育てられた人物のようにも思えてくる。
しかし、パレスチナ系住民が人口の7割以上を占めるジョルダンで、大衆の感情はむしろ反「米・イスラエル」でないか。
2002年 秋にほんの数日旅した彼の地でタクシーの運転手に「なんで日本は米国の肩を持つのだ?!」と詰め寄られた。
道を教えてくれた穏やかな学生も「我々が闘うのは米国『政府』であり、米国『市民』ではない...」と静かに語っていた。
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