1998年10月、アブドッラー皇太子(現国王)が27年ぶりのサウジからの元首級の訪日を行った。小渕総理との間に「21世紀に向けた日・サウジ協力共同声明」に署名した。この時、政界や財界が最大級のもてなしをしている。
当時私は外務省の国際情報局長である。駐日ジョルダン大使から電話があった。至急会いたいという。「困っている。助けて欲しい」。彼は「実は明日、(ジョルダンの)アブドッラー王子が日本に来る。ところが日本の中東関係者は皆、サウジのアブドッラー皇太子の応接で忙しいと言って、誰もあってくれない。局長、夕食をしていただけないか。貴方の“国際情報局長”という肩書はもっともらしく聞こえる」
今はもうないが、当時、文京区西方に、民家を改造した洒落たフランス料理店があった。個室もある。大使と三人で夕食を共にした。個室の入り口には、王子が連れてきた警護官が立った。聞くと、王子は個人ジェット機でアメリ
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コメントを書くこのづ随筆を読みながら、政権(官邸)と官僚組織のありかたが変わったことが、日本の政治家と官僚が競い合う良い風土が失われたと思わざるを得ない。
政治主導を目指した与野党の国会議員が、内閣人事局を設置し、局長より下のポスト審議官以上約600名の人事承認権を握ったことが、「森、加計問題」だけ」でなく、多くの政策が官邸に握られ、官邸の意向を無視した方向性を打ち出せなくなっている。
第二次安倍内閣2014年に「内閣人事局」を創設して以来、官僚側が政治家の顔色を窺い傾向が強いといえる。特に外交は、日米同盟が基軸であるが、政治家が前面に出てくると、時の政治家によって、日米間が大きく振れることになる。大きく振れても日米間は変わらないわけであり、政治が不安定になるというより、日米関係では、無駄な労力を費やすことになる。裏表のない日米同盟基軸が、日本の針路とならない限り、日本の防衛力に常に疑問符が付きまとうことになる。
青森りんごは何度も食べていると思う。松坂牛は食べてなさそうだが、「死ぬ前に食べたい」と言ってもジェット機で調達してくれる人はいない。だが、係るジョルダン王子が国王になったのは、恐らく「青森りんごと松坂牛」の所為でない。
ジョルダンはサウジアラビア、エジプト等と同様、ごく限られた親「米・イスラエル」アラブ国の一角だ。
> ハッサンは汎アラブ的思想を持ち、西側諸国とは距離を保っていた。
当然、米・イスラエルは「けしからん。国王になってもらっちゃ困る」となるだろう。
>「この地のCIA情報の三分のニは自分の情報だろう」
米国とのパイプの太さをアピールしているように聞こえる。
> アブドッラーの母は英国人で、英国士官学校を卒業している。
もう、将来国王にすべく元々米英によって育てられた人物のようにも思えてくる。
しかし、パレスチナ系住民が人口の7割以上を占めるジョルダンで、大衆の感情はむしろ反「米・イスラエル」でないか。
2002年 秋にほんの数日旅した彼の地でタクシーの運転手に「なんで日本は米国の肩を持つのだ?!」と詰め寄られた。
道を教えてくれた穏やかな学生も「我々が闘うのは米国『政府』であり、米国『市民』ではない...」と静かに語っていた。