p_fさん のコメント
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いろんな機会が人を新しい道に導く。新しいものを生み出していく。
今私は、藤原真理の「愛のコトバ/トロイメライ」を CD で聴いている。聴こうと思ったのは全くの偶然だ。
今年7月に、私は『朝鮮戦争の正体』を出した。『週刊金曜日8 /21 』が秋山晴康氏とのインタビュー記事を掲載してくれた。その表紙が「チェリスト・藤原真理さん “音楽というものは自分の文化を背景にして出てくるものなのです」とあった。藤原真理氏は第六回チャイコフスキー国際コンクール」第2位を受賞している。 OD だって、シューマン作「トロイメライ」等外国の作曲家の曲である。そうした曲の演奏をしながら、“音楽というものは自分の文化を背景にして出てくるものなのです」との考えを持っている。何なんだろうと思った。
彼女が何を語っているか。「マスタークラスに東欧からも生徒が来るのですが、彼らはビブラートが強烈です。ソ連のある時期、自分が亡命したら親族が
小澤征爾氏のドキュメンタリー(1985)で久々に再会したヨーヨー・マ氏と次のやり取りがあった-
「議論したね 東洋人に西洋音楽は可能かって」
「もちろん可能ですよ。音楽を深く知りたいという気持ちと才能さえあれば。僕の家族がいい例だ。典型的東洋人ですよ。僕自身 日本に行ったことがあるけど 日本人の行動様式は よく理解できる。個性より協調性が優先する。才能ある者はつらい。だが 一たび東洋を出ると自己を主張しなければならない。東洋では口をつぐむしかないが・・・両文化の違いは尊重したい」
「できるかい?僕にとっては重大問題だ...カメラ止めてよ」
事はクラシックに限らない。何処の誰が何処のどんな音楽を演ろうと当人の勝手と思う。しかし、自分のルーツと無関係の音楽を演ることに思い巡らすことは「目覚めた」プロの音楽家ならば今尚よくあることでないか。否応なしにアイデンティティに関わってくるからだ。時々見かける英語がペラペラでも中身カラッポのような人間には解らない話ではある。
本家の単なる猿真似に終わらない音楽を如何に創るか━ホンモノの音楽家の道はつらい。
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