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changeさん のコメント

戦争だけでなく、様々な社会的行為は、意識せずとも「だまし、だまされる現象」で成り立っている。だから、世の中は面白いともいえる。男女の中でも、だますつもりはなかったが、結局だますことに終わることもある。
解決方法は、いかにして、一人一人、「だまし、だまさない」ように人格を高められるかということである。「だまし、だまされる」ことがなくなることはない。

人間の生きていく根本は、大まかに言ってこの二つに大別できるのではないか。
①精神的支柱:具現化する現象をありのままに見つめられる強い心を持つことができるかどうか。
②物質的支柱:日常生活に必要な物質的追及が制御できるかどうか。

相反する生きていく糧を一人一人がコントロールできるかどうか、言葉では何とでもいえるが、現実的に実行できる人を求めても、物質的豊かさが優先し、精神的豊かさに重点を置かない人がほとんどでしょう。精神的豊かさは、古代から、物質的追及から離れえた一部の特権階級に与えられたものになっている。

日本のように一つの王朝が続いているところはない。王朝が続いていることは、さまざまな環境の相違はあるにしても、物質的豊かさに不満を持ち他の国のように庶民が不満を訴える戦うということが極めて少なかった。外敵がいないから、為政
者と庶民が信頼関係を築いていたともいえる。

このような優れた民族が、今次大戦の反省をするとすれば、国民の物質的豊かさが維持できないという「宣伝」が徐々に浸透し、国民が危機を為政者と共有していったことが大きかったと分析しています。

「だまし、だまされる」ほど当時の国民の精神的レベルが低かったとは思わない。現在のように様々な情報を経験しなければならない時代でなく、生きていく倫理的精神的支柱は、現代のわれわれより高いレベルにあったとみるべきでしょう。
No.1
50ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
・多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。 ・多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしい。民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。