p_fさん のコメント
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チェーホフの真骨頂は男女の愛を巡る心理描写にある。これに引かれ、多くのチェーホフフアンがいる。 だが、チェーホフ」の作品を読んでいくと、人生の無常をテーマとした作品が極めて多いのに気づく。 チェーホフ に 「 退屈な話 」 という中編小説がある。1989年、チェーホフ29歳の作品である。ロシア語で59頁。文字通り、まったく退屈な話なのである。主人公は63歳。不眠症で自他ともあと半年位で死ぬとみている。医学部教授で、ドイツで経歴が紹介される位著名で、帝政ロシア時代の高官の位も得ている。しかし死を前にして、主人公はタイトルや業績が何の意味を持たないことを知る。かつて夢中になった今の妻は太り(チェーホフは女性の魅力を語る時、腰の細さをしばしば指摘)魅力を失っている。娘は気取るが定職もない男と結婚しようとしている。 チェーホフには死を扱う作品が多い。1890年には、これもさして評判の高い作品ではないが「グーセ
最近読んだ短編「魔女」(「チェーホフ 小説1886」)も良かった。
> 今の妻は太り(チェーホフは女性の魅力を語る時、腰の細さをしばしば指摘)魅力を失っている。
若いロシア女性はスラッとしてハッとするほど美しいが、何時しか皆ドラム缶になってしまう━昔、口さがない友人が言っていたが、今はどうなんでしょう。
> チェーホフには死を扱う作品が多い。
ご著書「転ばぬ先のツイ」に旧ソ連時代、ロシア人には「明日はどうなるかわからない」→「自分たちには今日しかない」との意識が強く、今の1分1秒を懸命に、あるいは豊かに生きていた旨書かれていることから、当時の彼らには「死」のイメージも強烈だったと推察致します。
> 米があり、暖をとる薪を持ち、足をのばすスペースがあればそれでいいのではないか。そして生を享受する。周りの美を愛でる。
読書中の「イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史」は それと真逆の人生━殺し合い━に身を投じた者達の記録だが、彼らにとっては互いに死活的に重要として今尚続けているであろう そんな愚かな行為は何故止められないのか。また、この本の出版意図は何処にあるのか。できれば孫崎さんの書評を伺いたい次第です。
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