changeさん のコメント
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私は1993年大使としてタシケントに赴任しました。赴任時最初に待ち受けていたのは、絵画のモデルになることでした。ウズベキスタンは独立した後、芸術家協会が主催して、各国の初代大使の肖像画を描いておこうという構想です。これを契機にウズベキスタンの多くの画家と知り合いました。その内、タタール系女流画家 ガンバローバとその夫チューブと知り合います。ガンバローバはきれいな色彩の絵を描いいて、ある時何故ですかと聞いたら「生活が苦しいでしょう。せめて絵だけは明るくと思っています」との答えでした。絵は 100ドルから200ドルの間でした。何点か購入した後、「貴方の絵は安いので幾つか買いましたが、100ドルから200ドルは安すぎますよ」と述べたら、「自分の作品がそんなに安いものでないことは私自身が一番知っています。しかし独立後の経済混乱で誰も絵を買いません。だから生きるために安くせざるを得ないのです」でした。
「心」の具体的働きは「見聞覚知」することにあり、「見る」ということの具体的なものは、①今回の絵画とか陶芸品などを見ること、②書物・新聞など書かれたものを読むこと、③映画など映像を見ることなど見わめて幅が広い。
「見る」ことによって思索の幅が広がるし、自由な創造性が養われる。「心」が柔軟に働きかけるから,相手から豊富な情報を伝えてくれる。人間としての幅が大きく、広くなる。「見聞覚知」が磨かれる。
現代人は、マスごみの新聞はともかくとして、文芸評論、思索的書物、絵画、陶芸品など目に触れるものに対して興味を持たなくなれば、普遍的「見聞覚知」が正常に機能しないことになる。ゆとりがないというより、経済的損益だけにしか興味・関心を持たなくなれば、無味乾燥な人間が増えて行くことになる。
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