• このエントリーをはてなブックマークに追加

りゃんさん のコメント

「ダレスの恫喝」 は、ある種のヒトビトが好んでよくもちだす議論ですが、そもそも孫崎さんも書いているように、日本はポツダム宣言を受諾して敗戦したのであり、そのポツダム宣言を提示した連合国の中心メンバーが米国だったのですから、米国が日本の領土問題に口を出すのは、(日本の好む好まないにかかわらず)避けられないことです。

これに関連してひとつ述べると、孫崎さんが決して言わないのが、ポツダム宣言による領土処理の方向で、尖閣は沖縄返還とともに日本領土になったことですね(中華民国もその当時は別にその処理に文句を言っていなかったし、中共が「米国にたいして」文句を言ったという話もない)。つまり日本はポツダム宣言に違反して尖閣を領土にしたわけではない(そんなことができようはずがない)。

ですから孫崎さんは、田中周会談「以前」のことは決して(わたしの知る限りでは)書こうとしない。自分の主張に都合が悪いから、書けないのでしょう。

われわれがよく見ておくべきは、もちろん今更言うまでもないことですが、連合国(米国、そして当時のソ連を承継したロシア、当時の中華民国を承継した中共)は、別に一枚岩でもなんでもなく、そして各々が勝手なことを叩きやすい相手(つまり日本のことです)に主張し強制しようとするということで、それは米国だけがやっていることでもないし、また、今現在も続いていることです。
No.11
45ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
1:日本が、①ポツダム宣言を受諾し、戦争終結を行ったこと、②サンフランシスコ条約に署名して国際社会に復帰したことを考えれば、我々がポツダム宣言、サンフランシスコ条約を無視していいという立場は国際的に取りえない。 2:特に サンフランシスコ条約は日本が軍事的圧力ではなく、自分の選択として条約を多くの国々と結んだのである。  サンフランシスコ条約時において、吉田全権は国後・択捉を南千島と位置づけ、放棄したくない旨述べたがそれは受領されるに至らなかった。 3:サンフランシスコ条約締結後、日本政府は国後・択捉は日本領土でないとの立場を取っていた。 4:その転機は日ソ国交回復時にある。  当時の重光外相は、平和条約の締結において、二島返還しかないとの立場を決め、それをダレス国務長官に述べたのに対し「許さない。それをするなら沖縄を返さない」と言われた。これが「ダレスの恫喝」である。 5:他方歯舞色丹はどうか。  地理
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。