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p_fさん のコメント

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p_f
>>3
先日の私への異論?のご返信には、初めて頂いたこともあって返答致しましたが、今後は「明らかな誤り」のご指摘でもない限り、応じることは控えたいと存じます。ここは孫崎さんのブログであり、コメントは基本的に「孫崎さんが書かれたことへの読者の反応」であるべきでしょう。それに縛られ過ぎては窮屈でやってられないにせよ、このコメント欄で、孫崎さんのご発信を通じて得られる知見等からも明らかと考えられる事を読者が蒸し返すのは不適当でしょうし、ネットで簡単に調べられる事を安直に問うのも如何なものかと思います。ましてや、ネトウヨ同然の妨害紛いの書込みや、それらに逐一反応するなどは、ブログ管理者に書込み禁止にされるのが普通でしょう。
また、記事を凌ぐような分量の書込み等も、如何に立派な事を書いていてもマナー違反と考えます。大部の持論を展開したいのなら、ご自分のブログでやるべきで、孫崎さんの読者にも伝えたいなら、そのリンクのみ書込むのが筋でしょう。

「日航123便撃墜事件」については下記をご参照ください。
https://nikko123soda524.jimdofree.com/
https://tenku123.hateblo.jp/
No.5
45ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 1980年、二度目の在ソ連大使館勤務を終えて、本省に帰ることとなりました。魚本大使が、「孫崎、一緒に食事をしよう」と言われ、昼食を共にしました。食事が始まるやいなや、魚本大使は、「君も本省に戻れば課長になる。それで一言言っておきたい」と切り出されました。私は「君も課長になるのだから、もう少し周りを見て行動しろ」と忠告を受けるものと覚悟しました。在ソ連大使館では、私は比較的好き放題の発言をしたのです。 「外務省では課長というポストは重要だ。それで政策が作られていく。外務省は課長には好きなように仕事をさせてくれる。自分の信念に基づいて最後までやり抜け」。  そして、魚本大使は、自分が北米局 安全保障課長をしていた時のことを話始めました。   第二次世界大戦後、米軍は東京・代々木に兵舎・家族用居住宿舎等の軍用地を持ち、この土地は 「ワシントンハイツ」 と呼ばれていた。東京オリンピックの主要競技場のすぐ隣に 「
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。