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p_fさん のコメント

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p_f
> 第二次大戦突入までの歴史を見ると、「志」の圧倒的重視で、「智」の軽視であったのであろうと思います。

換言すれば、日本には何処にも まともな「戦略」が無かったということでないか。あっても せいぜい「相手をやっつける」視点のものレベル。

> 規則を守ることが重要だとすると、いつの間にか当初の精神と違う方向に行く

軍隊や官僚等のシステムが思い浮かぶが、まさに今の日本で目の当たりにしていることだ。
だが、例えば、「規則」通りに動作している航空機、自動車、家電等のシステムが、いつの間にか「心臓部」の暴走で動作が危険な方向に行く━こんなことは放置されない。システムの上流~下流までのあらゆる層から直ちにフィードバックが掛かり、軌道修正が図られる。何重ものフェイルセーフ機能が働くよう設計されているからだ。日本のお家芸でもあろう。しかし、それが政治/官僚機構等、「人間」のシステムには一向に活かされない。すると必ず「人間は工業製品ほど『単純でないんだよ』」と言うのが出てくるが、そんな輩こそ「智」が無い証拠だ。
No.1
37ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 私は高校で日本史を習いました。松平定信への記述は当時とあまり変わっているようには思いません。 「田沼意次がしりぞいたよく1797(天明7)年、江戸・大坂など全国30余りの主要都市で打ちこわしがあいついでおこった。なかでも江戸の打ちこわしは激しいものがあったので、市中の米屋などが多数おそわれ、幕府に強い衝撃をあたえた。こうしたなかで、11代将軍徳川家斉の補佐として老中に就任したのが、白河藩主松平定信である。  定信は祖父吉宗の政治を理想とし幕政の改革に着手した(総略)。定信の改革を寛政の改革と呼ぶ」。」  だが、不思議と頭に残っているのは当時の風刺です。 「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶぶんぶ(文武)といふて夜もねられず」 「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」  最近偶然、松平定信著『花月草紙』を読みました。記述の鋭さにびっくりしました。 「志と智のこと。こころざし五つあり
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。