私は高校で日本史を習いました。松平定信への記述は当時とあまり変わっているようには思いません。
「田沼意次がしりぞいたよく1797(天明7)年、江戸・大坂など全国30余りの主要都市で打ちこわしがあいついでおこった。なかでも江戸の打ちこわしは激しいものがあったので、市中の米屋などが多数おそわれ、幕府に強い衝撃をあたえた。こうしたなかで、11代将軍徳川家斉の補佐として老中に就任したのが、白河藩主松平定信である。
 定信は祖父吉宗の政治を理想とし幕政の改革に着手した(総略)。定信の改革を寛政の改革と呼ぶ」。」
 だが、不思議と頭に残っているのは当時の風刺です。
「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶぶんぶ(文武)といふて夜もねられず」
「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」
 最近偶然、松平定信著『花月草紙』を読みました。記述の鋭さにびっくりしました。
「志と智のこと。こころざし五つあり