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p_fさん のコメント

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p_f
> それは皆、「彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」を避けるためにである。

3万5千人超の誰もが そこまで考えて声を上げたならば、日本の民度も大したものだ。だが、殆どは直感的に「おかしいでないか」とストレートに反応しただけだろう。一方、敵はそれに怯んで望月記者潰しを諦めたのか。恐らくそれも違う。どれだけ反国民的デタラメ、メチャクチャ政治をやろうがブタ箱行きを免れるアベ、スガ一味だ。せいぜい、飼っている家畜に熱湯浴びせて「キャンキャン悲鳴を上げとるわい(笑」程度の感覚でいるのでないか。
先日の生放送:アリエフ外務次官のエピソード━「例えば、旧ソ連・バルト海諸国での200~300人の集会で、誰かが『大統領を殺しに行け』と言ったとしても、バルト海の人間は誰も殺しに行かない...」
バルト海諸国よりもっとダメな日本で、大衆が やられっ放しの現況を変える現実的戦略が必要だ。
No.2
39ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
マルティン・ニーメラー( 1892 年 - 1984 年)は、ドイツの福音主義神学者である。彼はナチ党の宗教政策に反対し、 1937 年 7 月逮捕され、 1941 年ミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所に移送され、 1945 年にイタリア、南ティロルに移送された。彼の発言に基づくとされる言い回しが 1946 年頃に生まれたと見られ、 1950 年代初期には詩の形で広まっていた。それが次の句である。 「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから。そして、 彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」  2021年7月11日、ツイッターの「トレンド」を見ていたら、「 # 望月
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。