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りゃんさん のコメント

孫崎さんをふくめ、東京五輪にも原発にも反対のヒトビトが五輪開会式を夜遅くまでエアコンの効いているであろう部屋でみるのかな、とおもった。

さて、開会式をみつつ、五輪の理念は、サヨクの理念と、指導部が指導するというところまで含めてよく似ているよなあとあらためておもっていたら、グローバリズムのテーマソングである「イマジン」が流れてきて、かなり白けた。同様の内容でも日本にもいい歌はあるだろうに。世界へのわかりやすさを優先したのではあろうが、ここは強いて言えばだが最重要の部分だったのであり、妥協してはならなかった。

各パフォーマンスは紅白歌合戦のパフォーマンスを拡大延長したように全体的な統一感はなく、逆にいえば、好意的に開会式をみただれもが、どこかしらで満足をえられたであろうとおもう。個人的には森山未來にはいろんなことを想起させる重さ深さがあったし、ピクトグラムは面白かった。どのくらいのカネをかけてこのくらいなのかという疑問は感じるけれども。

孫崎さんの文章中に、「世界に発信するものを持たない日本」とあるが、今の世界と日本とは構造的にそうなっているのであり、やっと開催した五輪の開会式にいうべき文句ではないとおもう。

また、選手に喜びがみなぎっていないという趣旨をお書きだが、間違っていると思う。皆、喜びと誇りを感じさせた。
No.3
33ヶ月前
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A- 開会式評価 「歓喜なき開会式」、それが私の開会式時のツイートである。併せて、「感動なき開会式」である。  これまで、幾つかの五輪開会式を見てきた。入場する各国選手からは選ばれた緊張や喜びがみなぎっていた。そんなものは見当たらない。  当然である。マスクをかけた選手には表情が見えない。表情なき行進である。  口をふさがれているから、歓喜も漏れてこない。やはり、開催すべきではなかったのだ。  何でこんな大会があるかを問わせる選手行進であった。  そして開会式につきものの幾つかの パーフォーマンス。時間帯を埋めるプログラムがあるが、発信するものがない。まさにリオオリンピックの閉会式に、安倍首相がマリオで登場したと同じように、マリオが五輪競技と関係なきように、パーフォーマンスは、これから生ずる運動との相互関係がみえない。世界に発信するものを持たない日本を象徴している。三流のショーにしか過ぎない。  私のツイー
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。