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フレデイ タンさん のコメント

三島を考える時、ナチスを容認し、死ぬまで懺悔しなかった思想・哲学の巨人ハイデッガーを思い出さざるを得ない。しかも、この哲人はナチスの原初形態たる突撃隊に深く関与しているのだ。

三島は余り論じられることはないが、2.26事件の青年将校たちが財閥否定に立ち上がったことに強いシンパシーを感じている。

2.26事件に遅れて世に出た三島は処刑された青年将校たちの追討をどのようにするか、考えていたに違いない。当然、青年将校たちが嫌った米帝国主義に日本の全てが呑み込まれている状況に不満だったことが背景となろう。

星条旗の下で、ぬくぬくとサラリーマンする自衛隊に喝を入れ、米駐留軍を神国日本から追放することも三島の内面にあった。東大での全共闘との対話がそれを証明している。また、その情念は彼の短編「午後の曳航」に簡潔に表現されている。

今、自民党は中国との戦争を視野に入れている。それも、三島が嫌う米国の指図に従って敢行されるのだ。三島の存在を、そのような脈絡で眺めれば、キラキラと光って来て、戦争やめろ!と呟くのが聞こえる筈だ。
No.3
33ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
私は今、 『豊饒の海』を読み返している。契機は三島由紀夫のアイヴァン・ モリスへの手紙である。  彼はモリスへの手紙で「これはあなたへの小生の最後の手紙です」と書き、あわせて、 「小生はそれ(『豊饒の海』)に、小生が感じたすべてを表現しました。小生は、自分の文武両道を実現するため行動するまさにその日、小説を書き終えました」と記載している。  三島は 1970 年 11 月 25 日陸上自衛隊の益田 東部方面総監を監禁し割腹した。この日、『豊饒の海』の第四部『天人五衰』を編集者に渡す手配をして出かけている。三島が「小説を書き終えました」と述べているので、モリス宛手紙は死の直前に書かれたものである。彼が、「小生はそれ(『豊饒の海』)に、小生が感じたすべてを表現しました」と述べている以上、三島の自決を理解するには、『豊饒の海』を読まなければならない、特に第二巻第二巻・『奔馬』は主人公が治安攪乱のため、変電所を襲い、更に
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。