フレデイ タンさん のコメント
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三島由紀夫は遺書ともいうべきアイヴァン・モリスへの手紙の中で、「小生はそれ(『豊饒の海』)に、小生が感じたすべてを表現しました」と書いた。つまり、彼が何故自衛隊で割腹自殺をしたかの理由はここに全て書かれているとみてよい。。 三島由紀夫は「革命哲学としての陽明学」を記載し、陽明学の「知而不行,只是未知(知りて行わざるはただ是れ未だ知らざるなり)」を重視し散ることは知られている。 『奔馬』では井上哲次郎著『日本陽明学派の哲学』に言及しつつ、「このうちの一句、『身の死することを恐れず、ただ心の死するを恐れるなり』といふ一句が勲の心を刺した。そこに現在の自分に対する鐡槌のような文字を讀んだのである」と記している。 『奔馬』 の対象時代は 1932 年 5 月から 1933 年年末である。主人公飯沼勲等が 財界要人 の刺殺計画を練っていた段階で逮捕される。裁判長に促され、行動の理由を「(東北での窮状に言及した後)これ
梅原猛氏は西洋哲学研究の第一人者ですが、その彼は「ハイデッガーの現存在は日常的には自己を失って、頽落してます。ところが、現存在が死の前に立てられたときに実存的になる。人間は死を覚悟することによって、そこで本来の人間に目覚める。それが実存です」と説明してます。
三島由紀夫氏は東大法学部でトップクラスの学生でした。そんな彼ですから、ハイデッガーの哲学を知らない訳が無い。三島由紀夫氏と梅原猛氏は東条の学徒動員の対象でした。国家の命令で死に直面させられた最後の世代です。
三島由紀夫氏は西洋哲学の枠内で死んで行き、梅原猛氏は仏教の研究者になり100歳近くまで生きた、と思えるのです。
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