三島由紀夫は遺書ともいうべきアイヴァン・モリスへの手紙の中で、「小生はそれ(『豊饒の海』)に、小生が感じたすべてを表現しました」と書いた。つまり、彼が何故自衛隊で割腹自殺をしたかの理由はここに全て書かれているとみてよい。。
三島由紀夫は「革命哲学としての陽明学」を記載し、陽明学の「知而不行,只是未知(知りて行わざるはただ是れ未だ知らざるなり)」を重視し散ることは知られている。『奔馬』では井上哲次郎著『日本陽明学派の哲学』に言及しつつ、「このうちの一句、『身の死することを恐れず、ただ心の死するを恐れるなり』といふ一句が勲の心を刺した。そこに現在の自分に対する鐡槌のような文字を讀んだのである」と記している。
『奔馬』の対象時代は1932年5月から1933年年末である。主人公飯沼勲等が財界要人の刺殺計画を練っていた段階で逮捕される。裁判長に促され、行動の理由を「(東北での窮状に言及した後)これ
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「朱子学と陽明学」の違いなどを整理してみた。
1.「朱子学」権威に従い秩序を重んじる。
「陽明学」は統治者権威に盲従することなく、自分の責任で行動する
「心の自由」を唱え、自己の正義感にとらわれた秩序に反発する革命思想。
2.「朱子学」は「性即理」=「知の学問」、陽明学は「心即理」=「心の学問」
* 朱子学は「心』を「性」と「情」に分けた。
3.中国では「朱子学、が科挙試験に採用され、学歴社会、官僚社会を生み出す。
韓国では、思想統制につながっていく。社会の停滞につながった。
日本では、江戸幕府公認となったが、逆に「天皇を中心とした国造り」
尊王論につながった。
中国と韓国においては、「朱子学」の影響が強く反映している社会である。
日本は、「朱子学と陽明学」と同じように、英国・ドイツの社会規範の影響を強く受けている。
三島氏の葛藤は、「分別の無分別、無分別の分別」の円環的「心」の本質を理解したとしても、その本質を脱して行動に移そうとすれば、「生命無き死の選択」しかありえない。
>>1 訂正
「生命無き死の選択」を「生命論理無き暴挙=死の選択」=「自殺者の論理」に訂正します。
ご投稿の最後の部分「自分の知らないところで何かがゆっくりと慎重に準備されつつあった。そしてもはや未来にある唯一つ確実なものは死なのである」が私を妙に刺激するのです。
梅原猛氏は西洋哲学研究の第一人者ですが、その彼は「ハイデッガーの現存在は日常的には自己を失って、頽落してます。ところが、現存在が死の前に立てられたときに実存的になる。人間は死を覚悟することによって、そこで本来の人間に目覚める。それが実存です」と説明してます。
三島由紀夫氏は東大法学部でトップクラスの学生でした。そんな彼ですから、ハイデッガーの哲学を知らない訳が無い。三島由紀夫氏と梅原猛氏は東条の学徒動員の対象でした。国家の命令で死に直面させられた最後の世代です。
三島由紀夫氏は西洋哲学の枠内で死んで行き、梅原猛氏は仏教の研究者になり100歳近くまで生きた、と思えるのです。
>>1
中国、韓国はその歴史を眺めれば、革命や大統領暗殺があったりして、陽明学の旺盛さを伺えるのですが、日本は威信で権力トップが徳川家から天皇家に代わっただけで、朱子学が万能の世界に見えますね。特に今の自民党独裁の社会を伺っていると陽明学風の若者は皆無ですよ。
朱子学は、孔子を開祖とする儒教の一派である。
中国共産党指導部は、儒教を国教とし、世界に孔子学院を500以上開校している。
孔子を毛沢東以前の伝統へ回帰させつつ前進させ、国際社会に融合させようとしている。
>>5
私の指摘への反論でもなさそうですな。
朱子学が儒教の一派だとすれば、陽明学も儒教の一派ですよ。
中国共産党指導部は儒教を国教としてません。宗教は阿片と言う認識は変わりません。孔子学院は中国の文化を学ぶ海外の人々への機会の提供の為の学院ですよ。孔子は中国の偉大な哲学者ですから、中国人の誇りですよ。それを拝借した命名でしょう。残念ながら、日本には孔子に匹敵する偉人がいません。まーいなくても、別に問題は皆無ですが。
貴殿の文章の最後の二行は日本語として意味不明ですよ。
>>6
陽明学は、明の時代王陽明によって説かれた新儒学の学派であるが、朱子学や儒学を離れ、道教の老荘の思想に近く、禅仏教に近い。
>>7 追記
「小康社会」、「調和のとれた社会』、「以徳治国」など儒教に由来する多くの理念が共産党政策綱領に組み込まれており、儒教を国教としていることは明らかです。天安門広場に孔子像など設置しており,孔子廟、孔子学院の海外に多く設置しており、実質的に儒教を国教にしていることは間違いない。
>>8
なるほど、以徳治国、いいですね!自民党の先生方に学んでもらいたいですね。