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りゃんさん のコメント

方法論を意識しながら、さっそく、十句くらいつくってみる。たとえば、

タリバンや ねころんでみる赤い月

ろくなものはできないが、自作してみると、なるほど、「相互になんの関連がないものを一句に仕立てる」のは、別に難しくはないが、「材料と季題との関連が全くないというわけではなく、イメージの奥に通底するものがある」ことによって、「新しい世界を現出させる」のがむずかしいのだとわかる。

「イメージの奥に通底」。これがありふれてるとつまらない句であり、相手に伝わらないと妙なとりあわせと感じられる(読む側の知識も問われるが)。ここの塩梅が天才の仕事なのだろう。
No.3
38ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
私は絵画をよく鑑賞します。西洋画の場合、印象派が出てくる前はギリシア神話や宗教を主題としたものが多く、少なくとも画家が訴えたいと思うものの吸収が十分行われないことを痛感していました。  芸術作品の鑑賞には、物の前に立つだけではなくて、作者の意図や、表現の様式や、時代背景などの理解が不可欠と思います。  そのことは俳句の鑑賞にも該当すると思います。ドナルド・キーンは一九二二年生まれの日本文学者でしたが、芭蕉について「幾何学的に言えば、瞬間のものと恒久的なものの交る点となって表現されているのがみられる。その一例が、芭蕉の俳句の中では或は最も有名かもしれない。古池や蛙飛びこむ水の音。その第一節で、芭蕉はこの詩で不易な要素をなしている時間を超越して動かない池の水を出している。次の蛙が瞬間的なもので、この二つが水の音という一点で交わっている」と記しています。  ドナルド・キーンは「変化」と「不易」の二要素
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。