• このエントリーをはてなブックマークに追加

p_fさん のコメント

userPhoto
p_f
> 安保闘争を行った人々が、一般社会人の中にはいっていったのもそうでしょう。

今や安保闘争の正体をご著書等で それなりに知っている以上、彼らの多くには「棄教」する程の確たる理想/信念など端から無かったと推察する次第。誰かが自民・塩崎氏を「ああ見えてバリバリの安保闘士だったんですよ、信じられないでしょ(笑」と評していた記憶も蘇ってきた。「一億総懺悔」も勝手な創作だろう。「一億総」になるわけがない。つまり、本物の「信念」だったら、加えられる圧力に たとえ屈して「棄教」となっても、その後「のうのうと」生きていく選択肢は無い。自死しないまでも、生涯PTSDに苦しむだろう。森友事件で犠牲となった赤木氏、イラク/アフガン戦争の最前線から帰還した米兵が実証済みだ。
「棄教」した後、「いけしゃあしゃあ」と生き続けている類の「信念」とやらは、元々インチキ、イカサマだったということだ。
だが、断っておく必要があるのは、係る「信念」は自ずと反体制/反権力の性格を帯びるということだ。

>「許された空間で許される物的、智的豊かさを享受すればいい」

これが自分の「信念」だと嘯く輩もいる。アングロ・サクソンに何処までも付従うのが「信念」だった方もおられたようだが、彼等は皆、それで圧力が加わるとしたら即時「棄教」が目に見えている。要は、こんなものは「信念」と書いて「処世術」と読むのが正しい。
No.2
38ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
芥川龍之介について記述した際、 キリスト教迫害に関する『おぎん』を引用しました。しかし、キリスト教迫害に関する著作に言及した際に、遠藤周作作『沈黙』に言及しない訳にはまいりません。  長崎には日本二十六聖人記念館があり、「キリスト教を信じることを禁じる政策が行われる弾圧の時代を迎え、ここ《西坂の丘》が 26 聖人をはじめとするキリスト教徒の殉教の地となる」と紹介されています。ここには舟越保武の記念碑があります。  こうして殉教者をしのぶことが大勢になっている中、遠藤周作は棄教者を扱いました。ウィキペディアに「あらすじ」が出ていますので引用します。 「神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、フェレイラ(かつての師、今は棄教)が語りかける。その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾のような音を止めてくれと叫ぶ。その言葉に驚いたフェレイラは、その声が鼾などではなく、拷問
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。