芥川龍之介について記述した際、キリスト教迫害に関する『おぎん』を引用しました。しかし、キリスト教迫害に関する著作に言及した際に、遠藤周作作『沈黙』に言及しない訳にはまいりません。
長崎には日本二十六聖人記念館があり、「キリスト教を信じることを禁じる政策が行われる弾圧の時代を迎え、ここ《西坂の丘》が26聖人をはじめとするキリスト教徒の殉教の地となる」と紹介されています。ここには舟越保武の記念碑があります。
こうして殉教者をしのぶことが大勢になっている中、遠藤周作は棄教者を扱いました。ウィキペディアに「あらすじ」が出ていますので引用します。
「神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、フェレイラ(かつての師、今は棄教)が語りかける。その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾のような音を止めてくれと叫ぶ。その言葉に驚いたフェレイラは、その声が鼾などではなく、拷問
孫崎享のつぶやき
随想64 遠藤周作著『沈黙』
この記事の続きを読む
ポイントで購入して読む
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
- ログインしてください
購入に関するご注意
- ニコニコの動作環境を満たした端末でご視聴ください。
- ニコニコチャンネル利用規約に同意の上ご購入ください。
新着記事
- 日本1人当りGDP、経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国中22位(2013年11位)、、21位の韓国の下。CIAの購買力平価ベースの1人当り「真のGDP」では世界の各国・地域では51位。如何に安倍首相時代から今日まで日本経済の凋落が激しかったか。多くの日本人はだまされました。 4時間前
- 健康寿命が長い人は「脚力」「バランス力」「柔軟力」「握力」が高い。「脚力」は歩くための筋力。特に鍛えたいのは、尻や太ももといった下半身の大きな筋肉。歩く、立つ、座るなど、生活動作に大きく影響。 「バランス力」は転倒しないための筋力。ペットボトル開けられないは要注意。 1日前
- 全国高校駅伝 男子予選会、佐久長聖(長野)が優勝争いの最右翼(毎日)地区予選①大牟田2.03.25、②仙台育英2.04.00③八千代松陰5000m。平均タイム①佐久長聖13.56②仙台育英14.04③学法石川、女子神村学園(鹿児島)、仙台育英(宮城)、大阪薫英女学院の「3強」(毎日) 2日前
- 『私とスパイの物語』出版の顛末。よく出版できたと思う。ワニブックスの川本悟史氏に心から御礼申し上げます。当初の出版予定社社長より「この本は読者がつきませんよ」。つまり出版しない意思表明。困りました。この本には山上氏に夜殺害を否定する「安倍晋三元首相の殺害問題」が入っている。 3日前
- 欧州経済の終末、停滞、競争力の低下、トランプの難題。大陸は「存亡の危機」に直面。 EUがイノベーションの砂漠になっている。欧州の首都はすでに、税収が減少する中、急増する赤字の抑制に苦戦している。その結果として、極右と左派が体制を攻撃する機会を捉えて政治を急進化させている 4日前
コメント
コメントを書く人間の一生は,「生老病死」であり、様々な災難が付きまとう。
現在は、医療が格段に進んでおり、「病」に対する不安は少なくなっている。また、社会福祉が進み、老後の不安は相当に緩和されている。
どのように生きるべきかのテーマに対する回答がかなり自律的にできるようになっており、簡単に過去に生きた人たちと現代に生きる我々とはおのずから、避けられない環境が大きく異なっており、簡単には比較できない。
仏教に、「自灯明、法灯明」という言葉があるが、最後のよりどころは、この言葉に尽きると思っています。ただ、そこまで到達できなければ、あれこれ考えて、悩むことになる。組織的なキリスト教、仏教に帰依することになるのでしょう.棄教を求められれば悩むことになるが、悩みは尽きない。
> 安保闘争を行った人々が、一般社会人の中にはいっていったのもそうでしょう。
今や安保闘争の正体をご著書等で それなりに知っている以上、彼らの多くには「棄教」する程の確たる理想/信念など端から無かったと推察する次第。誰かが自民・塩崎氏を「ああ見えてバリバリの安保闘士だったんですよ、信じられないでしょ(笑」と評していた記憶も蘇ってきた。「一億総懺悔」も勝手な創作だろう。「一億総」になるわけがない。つまり、本物の「信念」だったら、加えられる圧力に たとえ屈して「棄教」となっても、その後「のうのうと」生きていく選択肢は無い。自死しないまでも、生涯PTSDに苦しむだろう。森友事件で犠牲となった赤木氏、イラク/アフガン戦争の最前線から帰還した米兵が実証済みだ。
「棄教」した後、「いけしゃあしゃあ」と生き続けている類の「信念」とやらは、元々インチキ、イカサマだったということだ。
だが、断っておく必要があるのは、係る「信念」は自ずと反体制/反権力の性格を帯びるということだ。
>「許された空間で許される物的、智的豊かさを享受すればいい」
これが自分の「信念」だと嘯く輩もいる。アングロ・サクソンに何処までも付従うのが「信念」だった方もおられたようだが、彼等は皆、それで圧力が加わるとしたら即時「棄教」が目に見えている。要は、こんなものは「信念」と書いて「処世術」と読むのが正しい。
1.科学者にとっての科学
2.政治家にとっての信条
3.信者にとっての宗教
上記の三つとも、事情は似ていると私は考えてます。真面目な人には叱られるかもしれません。特に宗教では叱る人がいるように思います。
1.のケースでは、米国では製薬絡みで昔から科学者弾圧が頻繁に起こってます。大々的に売り出していてドル箱になっている薬に致命的な病気を引き起こす物質あるいはウイルスが含まれていることを発見した科学者はどうなるか?その論文とデータについて激しい論争が起こればいいが、業界カルテルが撤回を強制する場合があります。拒否すれば殺される場合もあるのです。命はやはり大事です。
2.のケースで信条を捨てれば、殺さない、となれば、信条を捨てます。状況が変われば、リベンジ出来るのです。
3.のケース。棄教すれば助かるとなれば、さっさと棄教し、臥薪嘗胆に徹する。
採り上げ恐縮です。「信念」はさておき、私などは「棄教」してPTSDが精々で、そんな のっぴきならない状況に遭遇しないことを祈るばかり。この種の話には、例えば、かつて山手線のホームから転落した人を助けようと、恐らく「犬死に」覚悟で線路に降りた韓国の留学生等も脳裏を過ぎります。