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p_fさん のコメント

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p_f
イラク開戦前のドイツ/フランス vs 米国ネオコンを彷彿させる。ネオコンは死刑になってないが、東条もネオコンも、一時の勝利に酔えただけだ。そうなるとの懸念/警告に全く耳を貸さない、端から「(やりたくて うずうずしている)戦争しかない」との結論ありき も両者に共通だ。このタイプが権力を握ってしまった以上、日米開戦も、イラク開戦も起こるべくして起きたに過ぎない。本来、東京裁判は この手の輩に二度と権力を握らせないことも射程に入れねばならなかったはずだ。そうしなかったからこそ、戦後も この同類が日本のあらゆる分野のトップに収まることが罷り通ったり、今で言えば、高市某、ヒゲの佐藤某といった(似非)極右政治家が大手を振っていられるのだ。だが、こうした状況がDSに好都合なのも偶然ではあるまい。
No.1
36ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
日米開戦を大筋決める9月6日の御前会議前は 1941 年 10 月、日米開戦に向けて、緊迫した動きがでてきます。 「荻外荘五相会議」が緊張の頂点です。 日米開戦の直前、 10月 12 日午後, 2 時 、この荻外荘で極めて重要な会議が開催され、近衛首相、豊田外相、東條陸相、及川海相、鈴木企画院総裁が出席しました。「 荻外荘五相会議」 です。  ここが、日本が戦争に行くか行かないかを決める最後議論が行われた場面です。  このここで何が論じられたか、重要なので事項別に整理します。  矢部 貞治 ( 著 ) 『近衛文麿下』に記述を見てみたいと思います。 ******************************* ・東條陸相「日米交渉で駐留問題は絶対に譲れない。米側に屈服する心算なら別である。そうでないなら交渉の見込みはない」 ・及川海相「今や戦争を決意するか、外交交渉を続けるかの關頭にきた。交渉でいくなら、戦争準備を放棄して交渉一本でい
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。