changeさん のコメント
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日米開戦を大筋決める9月6日の御前会議前は 1941 年 10 月、日米開戦に向けて、緊迫した動きがでてきます。 「荻外荘五相会議」が緊張の頂点です。 日米開戦の直前、 10月 12 日午後, 2 時 、この荻外荘で極めて重要な会議が開催され、近衛首相、豊田外相、東條陸相、及川海相、鈴木企画院総裁が出席しました。「 荻外荘五相会議」 です。 ここが、日本が戦争に行くか行かないかを決める最後議論が行われた場面です。 このここで何が論じられたか、重要なので事項別に整理します。 矢部 貞治 ( 著 ) 『近衛文麿下』に記述を見てみたいと思います。 ******************************* ・東條陸相「日米交渉で駐留問題は絶対に譲れない。米側に屈服する心算なら別である。そうでないなら交渉の見込みはない」 ・及川海相「今や戦争を決意するか、外交交渉を続けるかの關頭にきた。交渉でいくなら、戦争準備を放棄して交渉一本でい
日本の実情は、当時苦しい状況に置かれたことは確かである。
世界恐慌から脱するため、イギリス、フランスなどは他国の商品に高関税をかけたり、輸入制限を行った。自国と植民地でブロック経済貿易政策をとり、日本の商品は売れなくなった。
対抗策として、台湾・朝鮮・満州で支配地域ブロック経済を確立しようとした。昭和天皇も大本営も武力行使を認めなかったが、関東軍はじめ駐留する日本軍は植民地で暴走する傾向が強くなっていった。
現在も同じであるが、経済制裁は、当事国の為政者にとって国民の信頼を失う大きな要素であることは間違いない。
米国は、約110か国が参加する民主主義サミットを行っている。私には、当時の日本ほどではないが、現在の中国の置かれた状況は世界を二分する軍事・経済の環境整備が行われようとしている段階に見える。天安門事件当時の日本の判断が同じように通用するかどうか。今回は非常に難しい判断が求められている。日本のボイコット同意が中途半端であれば、米国の踏み絵が次から次へと繰り出されてくるのでしょう。
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