なしさん のコメント
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日米開戦を大筋決める9月6日の御前会議前は 1941 年 10 月、日米開戦に向けて、緊迫した動きがでてきます。 「荻外荘五相会議」が緊張の頂点です。 日米開戦の直前、 10月 12 日午後, 2 時 、この荻外荘で極めて重要な会議が開催され、近衛首相、豊田外相、東條陸相、及川海相、鈴木企画院総裁が出席しました。「 荻外荘五相会議」 です。 ここが、日本が戦争に行くか行かないかを決める最後議論が行われた場面です。 このここで何が論じられたか、重要なので事項別に整理します。 矢部 貞治 ( 著 ) 『近衛文麿下』に記述を見てみたいと思います。 ******************************* ・東條陸相「日米交渉で駐留問題は絶対に譲れない。米側に屈服する心算なら別である。そうでないなら交渉の見込みはない」 ・及川海相「今や戦争を決意するか、外交交渉を続けるかの關頭にきた。交渉でいくなら、戦争準備を放棄して交渉一本でい
米国の人民は「劣化」などしておらずはじめからああいう
人たちです。
ベトナム反戦デモが世界中で吹き荒れた時代を私も若者として
生きました。
米国でも「反戦デモ」は激烈でした。
多くの若者たちが徴兵カードを燃やして抗議したかに見えました。
でもそれは反戦デモではなく、 反徴兵デモに過ぎませんでした。
米国政府が徴兵をやめてベトナム人同士で殺し合いをさせる戦争の
ベトナム化をした時米国の反戦デモは急速にしぼんだことをよく
覚えています。
あれは反戦デモではなく自分が死にたくないだけを目的とするデモ
でした。
普通の一般米国人は米軍が他国の市民を殺すことには驚くほど鈍感で
平気です。
彼らが気にするのは常に米軍兵士の「犠牲」だけです。
米国人というのはそういう人たちです。
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