p_fさん のコメント
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平山郁夫氏は中学三年の時、 広島の学徒動員先で原爆に被爆。彼は原爆症で苦しみながら、原爆投下の絵画を一点しかえがいていない。更に三四年経過し始めてこの体験を絵画にする。画家が自分の絵の背景を述べることはまれであるが、平山氏は自著『群青の海へ』で描くに至る経緯を記述、その内容はいかなる解説文よりも真髄をついているとみられるので、それを引用する。 「昭和二十年のその日、私は、舞い上がった広島の町から、どうにか脱出することができましたが、いつまでも私を追いかけてくるのは、巨大な炎でした。振り返り振り返り逃げまどう私の眼に映るのは、天を焦がす巨大な炎の中で、のたうちまわる断末魔の広島の町の姿でした。 背中のほてりは、ますます強まってきます。炎は歩いても歩いても追っかけてきます。人間が、石ころのように無造作に倒れています。じっとしている人、血だらけになってうめき声をあげている人、白い骨が露出している人
地獄と化した町を真っ只中で目撃したことより、目に入る瀕死の重傷者達を「見捨てた」ことが重いトラウマになったと伺える。
昨秋、イランで15才の少年が火事の隣家に入って二人の中高年女性を救出するも、大火傷を負って亡くなったとのニュースがあった。(pressTV 2021/9/24)
だが、住民も国も少年を英雄と称えたように、簡単に真似できることでない。
> すっかり錯乱し思考力を失って、何が何だかさっぱりわかりません。
これが正常な反応なのだろう。そうなることが初めからわかっていた上で米国は「日本人」に原爆を落としたのである。「日本」でなく「日本人」ということだ。ハイドパーク覚書だ。
> 友人たちは真剣に忠告してくれたものでした。“お前は...独自の原体験を武器にして成功してきているのを、知らないわけはないだろう。原爆の絵を描いてみろよ”
この「真剣な忠告」の真意はよく分からないが、明快なのは1959年、広島を訪れたゲバラの言葉だ-
「こんなことまでされて、あなたがたは何故怒らないのか?!」
「かつて家の名誉のために切腹をし、国のためにカミカゼまでやった国の人々がアメリカの圧力になす術がないかのように見えるのは悲しいことだ。そして、日本やアジアを『前線基地』にしようとするアメリカの意図が見て取れる...」
相手を同じ人間と思わなければ、どんな残虐行為も平然とやってのけるのを今尚 目撃し続けている。手法もより進化/洗練されているようだ。巻き添え防止のために、爆弾でなく特定の人間だけを切り裂く「鋭利な刃物」を落とす兵器も開発されたらしい。(田中龍作ジャーナル)
ご苦労なことだ。更には、何と言っても今次「殺人ワクチン」だ。「ノーベル大量虐殺賞」も創設されるのでないか。
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