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政治と絵画 平山郁夫「広島生変図」、広島の学徒動員先で原爆に被爆。34年後に初めて描く。「原爆描く時、絵かきとしてでなく、原爆の日を生き、多くの友を失った人びとと私自身、この狂気の兵器を生み出した同時代の人びとの贖罪と救いを願う絵にならなければならない。」
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政治と絵画 平山郁夫「広島生変図」、広島の学徒動員先で原爆に被爆。34年後に初めて描く。「原爆描く時、絵かきとしてでなく、原爆の日を生き、多くの友を失った人びとと私自身、この狂気の兵器を生み出した同時代の人びとの贖罪と救いを願う絵にならなければならない。」

2022-01-02 08:19
  • 12

 平山郁夫氏は中学三年の時、広島の学徒動員先で原爆に被爆。彼は原爆症で苦しみながら、原爆投下の絵画を一点しかえがいていない。更に三四年経過し始めてこの体験を絵画にする。画家が自分の絵の背景を述べることはまれであるが、平山氏は自著『群青の海へ』で描くに至る経緯を記述、その内容はいかなる解説文よりも真髄をついているとみられるので、それを引用する。
「昭和二十年のその日、私は、舞い上がった広島の町から、どうにか脱出することができましたが、いつまでも私を追いかけてくるのは、巨大な炎でした。振り返り振り返り逃げまどう私の眼に映るのは、天を焦がす巨大な炎の中で、のたうちまわる断末魔の広島の町の姿でした。
 背中のほてりは、ますます強まってきます。炎は歩いても歩いても追っかけてきます。人間が、石ころのように無造作に倒れています。じっとしている人、血だらけになってうめき声をあげている人、白い骨が露出している人

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平山郁夫氏にとって原爆は絵に出来ない。何故なら、炎を描くしかなくなり、生き延びた人、殺人兵器を作り使用した人たち全部の贖罪、救いを求めるものなり、炎の絵になってしまう、からだと明解にされている。

認識論ではその最高の境地を真善美とされていて、我々は学生時代に理科系は真の追求、社会科学は善の追求、文学その他は美の追求と言われていた。そのいわれで言えば、画家は美の追求者だと言えるでしょう。

平山郁夫氏は炎、贖罪、救いは善の追求者のもので、美の追求者のものではないと固く自分に戒めておられたのではないでしょうか。しかし、平山郁夫氏の絵をじっと見ていると浄土宗の浄土を描いているように私には見えるのですよ。しかも、そこには燃え盛る炎、贖罪、救い祈願が見えて来るのですよ。

No.3 34ヶ月前

>>1
「間違ってもある思想」とは一体何でしょうか???

それを明解にしないと薄気味悪いんですが。

正月そうそうから貴殿にいちゃもん付けてごめんなさいね。

No.4 34ヶ月前

<孫崎さんの意図が、「業火」=「炎」をどのように見ておられるかわからないが、私自身は、「死」と捉え「生」(命)と捉え、忌むべきものと捉えないし、喜ぶべきものとも捉えない。>

このようなことは、箱根のススキ野に火をつけて焼いてしまうと、春になれば若い芽が湧き出てくる。焼かないと雑草などが混じりススキ野が崩れてしまうことで理解できる。焼け野原の効用が指摘され、自然のサイクル肯定否定の生命現象が見て取れる。

私の心も、様々な考えが雑居して喧嘩しているがどの考えをとってみても,「因」と「縁」が異なれば違った結果をとってしまう。自分が正しいと思ったことが勝つわけではない。

私の心を焼け野原にして雑草(煩悩)をなくせば、新しい考えが湧き出てくる。この私の考え方から、特定の思想信条を無視するわけではないが、保守とか革新、右翼と左翼、資本主義とかマルクスレーニン主義などを思想的根拠にしないといっているのです。その主張が正しいとか間違っているといっているのではなく、唯物的肯定主義主張だけでは生命現象を説明できないといっているのです。

唯心的否定が入らないと私自身が納得できないのです。他人は関係ないのです。私自身の問題なのです。

No.5 34ヶ月前

>>5
なるほど。
右翼VS左翼、資本主義VSマルクス主義、そういうことですか。わかりました。

でも、又、疑問が出て来る。

生命現象に関しては確かに政治イデオロギーとは無関係ですが、平山郁夫氏の芸術を生命現象と捉えるのは無理があるかと思いますが、如何でしょう?

つまり、平山郁夫氏の作り上げた美は何かを見る人の魂に訴えかけるのです。彼の絵が壁に掛けられ鑑賞者の目に放たれた時、鑑賞者がどう鑑賞するかは鑑賞者の自由に委ねられるのです。鑑賞者にはマルキストもいるし反天皇親米右翼もいるし安保反対の右翼もいます。あるいは無色透明の言わば完全中立の者もいる。そして彼らは自分らのそれぞれの価値観に基づき鑑賞するのです。

ということになっちゃうのではないでしょうか?

No.6 34ヶ月前

平山郁夫氏だけでなく芸術は、様々な人が見るのであってが、その人が納得できる見方で見るのであって、価値観が変わってきて当たり前です。10人いれば10人違った評価をする。どの見方も正しいのです。否定しません。

ただ、私自身の鑑賞の仕方は、平山氏がどのような体験を重ねておられるか、どのような状況でお描きになられたかという「因縁」を無視できず、平山氏の体験を私の心に置き換えて鑑賞します。私の心は、平山氏の心を心として遊泳(動き回る)しますが、私の中に「花開く」感動がある場合があれば、感動が起きない場合がある。感動できない場合は、私の心が平山氏の心を完全に受け入れていないと反省するのです。

主義主張にとらわれると、私自身の心が曇り、見えるものが見えないと心に常に問いかけているのです。
基本的にはどのような主義主張を持ってもかまわないが、主議主張を前面に出しては芸術品を鑑賞できないと私は見ているのであって、他人の見るのを否定しているわけではありません。何度も申し上げますが、私自身の問題なのです。

No.7 34ヶ月前

>>7追記
「生命現象」については、NO.5で十分説明しているつもりです。

No.8 34ヶ月前

>>7
貴殿がこの論壇に登場して以来、その動機に「嫌中」或いは「中国バッシング」を否定せず推進する側に立ちたいものを感じていまして、その結果、私は貴殿を日本の大マスコミ、メデイアと同じ第二次大戦中のあの大政翼賛に傾いている人物だと観るにいたってます。

私は日本が明治維新以降今日に至るまでアングロサクソンの支配層に頭が上がらず頭が上がらないだけでなくあのアーネストサトウ以来の希望に沿うべく敵国中国と高々に雄たけびを上げて日本全体を行動に駆り立てようとするる現状に大きな不満を抱いているのです。

今日のテーマに関して貴殿が純粋に美を語るのでなく、「間違ってもある思想を根拠にして、、云々」とあるのにすごく違和感を感じ疑問を呈した次第です。悪しからず。

No.9 34ヶ月前

「敵国中国」というほど単純ではないですよ。
日本は清朝の味方をしていたし、漢族のなかでは汪兆銘政府の味方をしていました。かれらもまた「中国」です。

日本が主にたたかっていたのは蒋介石の国民党軍ですが、かれは米、英、DSのフロントですね。日本はDSとたたかっていたわけです。

そして、国民党軍と共産党軍とはたたかっていましたが(ともに「中国」)、その後の国共合作にはコミンテルンという外国勢力の陰謀、といって悪ければ、少なくとも関与があります。

日本が敗戦した結果、日本は「中国」と戦って負けたことになったわけです。その結果そのものに文句をつけるつもりはないですが、もう70年以上たったのだから、別の視点があってもいいとおもいます。ウイグルは「中国」ではないという事実も別の視点のひとつです。

創作活動に行き詰っていた平山氏が原爆体験という独自の原体験を武器にして成功した。その内容は「狂気の兵器を生み出した同時代の人びとの贖罪と救い」だ、というのも、なにも平山氏やその考えの真摯さにケチをつけるつもりは毛頭ないですが、わたしは、その時代の作為された論調、といってわるければその時代の空気や思想を結局は色濃く反映しているとおもいます。

原爆投下の、少なくともしばらくの間は、やられたからにはいつかやり返すと考えた人々が、かなり多くいたとわたしは信じています。

No.11 34ヶ月前

採り上げ恐縮です。明けましておめでとうございます。「未確認」は恐らく後半部と思いますが、これはゲバラの長女で小児科医のアレイダ・ゲバラ女史が2008年の来日講演で紹介されたエピソードです。主催者から釘を刺されたのか、意外にも?講演自体に反米カラーはさほどありませんでしたが。

No.12 34ヶ月前

アメリカと同様、当時日本も原爆製造を推進していた事は周知の事実です。もし、日本がアメリカよりも先に原爆を製造していたら、中国の大都市に投下していたでしょう。そして広島、長崎と同じく言語に絶する惨劇が起きたでしょう。核兵器廃絶への努力は、核保有国の権力者の重大な責務と考えます。

No.13 34ヶ月前
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