フレデイ タンさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
平山郁夫氏は中学三年の時、 広島の学徒動員先で原爆に被爆。彼は原爆症で苦しみながら、原爆投下の絵画を一点しかえがいていない。更に三四年経過し始めてこの体験を絵画にする。画家が自分の絵の背景を述べることはまれであるが、平山氏は自著『群青の海へ』で描くに至る経緯を記述、その内容はいかなる解説文よりも真髄をついているとみられるので、それを引用する。 「昭和二十年のその日、私は、舞い上がった広島の町から、どうにか脱出することができましたが、いつまでも私を追いかけてくるのは、巨大な炎でした。振り返り振り返り逃げまどう私の眼に映るのは、天を焦がす巨大な炎の中で、のたうちまわる断末魔の広島の町の姿でした。 背中のほてりは、ますます強まってきます。炎は歩いても歩いても追っかけてきます。人間が、石ころのように無造作に倒れています。じっとしている人、血だらけになってうめき声をあげている人、白い骨が露出している人
認識論ではその最高の境地を真善美とされていて、我々は学生時代に理科系は真の追求、社会科学は善の追求、文学その他は美の追求と言われていた。そのいわれで言えば、画家は美の追求者だと言えるでしょう。
平山郁夫氏は炎、贖罪、救いは善の追求者のもので、美の追求者のものではないと固く自分に戒めておられたのではないでしょうか。しかし、平山郁夫氏の絵をじっと見ていると浄土宗の浄土を描いているように私には見えるのですよ。しかも、そこには燃え盛る炎、贖罪、救い祈願が見えて来るのですよ。
Post