• このエントリーをはてなブックマークに追加

changeさん のコメント

<孫崎さんの意図が、「業火」=「炎」をどのように見ておられるかわからないが、私自身は、「死」と捉え「生」(命)と捉え、忌むべきものと捉えないし、喜ぶべきものとも捉えない。>

このようなことは、箱根のススキ野に火をつけて焼いてしまうと、春になれば若い芽が湧き出てくる。焼かないと雑草などが混じりススキ野が崩れてしまうことで理解できる。焼け野原の効用が指摘され、自然のサイクル肯定否定の生命現象が見て取れる。

私の心も、様々な考えが雑居して喧嘩しているがどの考えをとってみても,「因」と「縁」が異なれば違った結果をとってしまう。自分が正しいと思ったことが勝つわけではない。

私の心を焼け野原にして雑草(煩悩)をなくせば、新しい考えが湧き出てくる。この私の考え方から、特定の思想信条を無視するわけではないが、保守とか革新、右翼と左翼、資本主義とかマルクスレーニン主義などを思想的根拠にしないといっているのです。その主張が正しいとか間違っているといっているのではなく、唯物的肯定主義主張だけでは生命現象を説明できないといっているのです。

唯心的否定が入らないと私自身が納得できないのです。他人は関係ないのです。私自身の問題なのです。
No.5
34ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 平山郁夫氏は中学三年の時、 広島の学徒動員先で原爆に被爆。彼は原爆症で苦しみながら、原爆投下の絵画を一点しかえがいていない。更に三四年経過し始めてこの体験を絵画にする。画家が自分の絵の背景を述べることはまれであるが、平山氏は自著『群青の海へ』で描くに至る経緯を記述、その内容はいかなる解説文よりも真髄をついているとみられるので、それを引用する。 「昭和二十年のその日、私は、舞い上がった広島の町から、どうにか脱出することができましたが、いつまでも私を追いかけてくるのは、巨大な炎でした。振り返り振り返り逃げまどう私の眼に映るのは、天を焦がす巨大な炎の中で、のたうちまわる断末魔の広島の町の姿でした。  背中のほてりは、ますます強まってきます。炎は歩いても歩いても追っかけてきます。人間が、石ころのように無造作に倒れています。じっとしている人、血だらけになってうめき声をあげている人、白い骨が露出している人
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。