記事へ戻る changeさん のコメント change 大戦後、1956年10月に鳩山一郎とソ連ブルガーニン首相はモスクワで「日ソ共同宣言」に署名した。 経過を見れば異論が出てくるが、返還交渉は「日ソ共同宣言」に基づいていくべきではないか。 交渉では、北方領土をめぐってソ連側は歯舞群島、色丹島の「二島返還」を主張した。日本側は国後島と択捉島を含む4島返還での継続協議を要求したため交渉で折り合えなかった。」 共同宣言では「ソ連は歯舞群島、色丹島を日本に変換することは同意する。ただし、これらの諸島は平和条約が締結されたあとに現実に引き渡すものとする。」と明記された。 ダレスの恫喝は、「4島返還でなければ沖縄返還しない」ということであり、米国の北方領土に対する考えと今回着任大使の言っていることに齟齬があるように見ていない。 No.6 33ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています エマニエル駐日大使:「北方四島の日本の主権を(米国は)1950年代から認めている」と説... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
change 大戦後、1956年10月に鳩山一郎とソ連ブルガーニン首相はモスクワで「日ソ共同宣言」に署名した。 経過を見れば異論が出てくるが、返還交渉は「日ソ共同宣言」に基づいていくべきではないか。 交渉では、北方領土をめぐってソ連側は歯舞群島、色丹島の「二島返還」を主張した。日本側は国後島と択捉島を含む4島返還での継続協議を要求したため交渉で折り合えなかった。」 共同宣言では「ソ連は歯舞群島、色丹島を日本に変換することは同意する。ただし、これらの諸島は平和条約が締結されたあとに現実に引き渡すものとする。」と明記された。 ダレスの恫喝は、「4島返還でなければ沖縄返還しない」ということであり、米国の北方領土に対する考えと今回着任大使の言っていることに齟齬があるように見ていない。 No.6 33ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています エマニエル駐日大使:「北方四島の日本の主権を(米国は)1950年代から認めている」と説... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
経過を見れば異論が出てくるが、返還交渉は「日ソ共同宣言」に基づいていくべきではないか。
交渉では、北方領土をめぐってソ連側は歯舞群島、色丹島の「二島返還」を主張した。日本側は国後島と択捉島を含む4島返還での継続協議を要求したため交渉で折り合えなかった。」
共同宣言では「ソ連は歯舞群島、色丹島を日本に変換することは同意する。ただし、これらの諸島は平和条約が締結されたあとに現実に引き渡すものとする。」と明記された。
ダレスの恫喝は、「4島返還でなければ沖縄返還しない」ということであり、米国の北方領土に対する考えと今回着任大使の言っていることに齟齬があるように見ていない。
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