りゃんさん のコメント
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本(6月3日発売)ウクライナ危機の「糾弾」と「制裁」を超えて 平和を創る道の探求、 はじめに、(1)戦争(死者を出す)することに意義があるか 2021年、米国がアフガニスタンから撤兵して、少し世界に平和が来たかと思いました。しかし、2022年3月24日ロシア軍がウクライナに侵攻しました。 ロシアに対する激しい糾弾と、制裁を求める声が響き渡りました。日本の国内は、「一億総糾弾」「総制裁」論です。この時期、私は講演に出かけましたが、事前に主催者から「先生、最初にロシアはけしからん。ロシアは謝罪すべきだ。即時接待せよ」と呼びかけて下さい」との注文をうけ、「講師を決めるのは貴方方の権限です。でも何を話すかは講師の権限です。私は話したいことを話します。それが嫌なら招待を取り消してもらって結構です」と申し上げたことがあります。それ位、日本国内では糾弾と、制裁を求める声が強い状況でした。ウクライナのゼレン
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今日、日本もロシアも朝鮮半島に何の影響を持っていなくても、各々の安全保障に何ら支障がありません。朝鮮戦争は結局のところ、「誰にも無用で無益な困難」なのです
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とあるのには注目している。これを露宇戦争におきかえれば、露がウクライナになんの影響力も持っていなくとも、何ら支障がないということになるだろう。
一方、当時の朝鮮、そしていまのウクライナの人々には、侵略は大いに支障があることだ。
文字通り、「書いてある」ことなのに、誰もここには注意がいかないのは、見えていても見えないからだろう。あえて 笑 と書かない。笑えないからだ。
漱石の文章は、これは、そこそこ長い文章の一部であり、しかも小説であることに注意すべきだろう。漱石の思想がこのままであったかは不明だ。さらにいうなら、
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陽気のせいで神も気違いになる。“人を屠りて餓えたる犬を救え”と雲の裡より叫ぶ声が、逆しまに日本海を撼かして満洲の果まで響き渡った時、日人と露人ははっと応えて百里に余る一大屠場を朔北の野やに開いた
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とあるのは、
1,神が雲の裡から人を屠る命令をくだす
2,それは神がキチガイになっていたからだ
3,日本人とロシア人とがそれにしたがう
と分析でき、ここからは宗教についての一種の諦念を認めることはできても、トルストイと同じ宗教的な反戦思想は感じない。
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