• このエントリーをはてなブックマークに追加

しなもんさん のコメント

沖縄のことを思う時、お代官様が村の娘を所望する場面がいつも浮かんできます。娘はいやがっているのに、庄屋が間に立って「まあ、悪いようにはしないから。ほれほれ小判をこんなに頂いた」と父親を丸め込もうとするあの場面。こんな時代はもう終わったはずなのにその構図はそのまま残っています。沖縄が独立するなら応援するぞ。
No.6
140ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
  28日、琉球朝日放送で、 : 上原元沖縄開発庁長官、翁長自民党県連会長、友知准教授(沖縄独立論を主張)と一緒に「主権回復の日」について生放映を行った。  日本政府が4月28日を主権回復の日として祝う動きに対しては、沖縄の怒りがわきあがっている。  確かに1952年、4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立した。しかし、沖縄は米軍の施政下におかれた。従って沖縄はこの日を「屈辱の日」と呼んでいる、  上原元沖縄開発庁長官は当時を振り返っていう。  「トイレは、我々は“ local   native ”という所しか使えなかったのです。日本人や外人は別です。これが私の運動の原点です」  そして沖縄を外したことは偶然ではない。日本側の意思が働いている。  私は『戦後史の正体』に次の記述をした。 「一九七九年、進藤栄一・筑波大学助教授(当時)が、米国の公文書館から驚くべき文書を発掘し、雑誌『世界』に「分割さ
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。