28日、琉球朝日放送で、:上原元沖縄開発庁長官、翁長自民党県連会長、友知准教授(沖縄独立論を主張)と一緒に「主権回復の日」について生放映を行った。
日本政府が4月28日を主権回復の日として祝う動きに対しては、沖縄の怒りがわきあがっている。
確かに1952年、4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立した。しかし、沖縄は米軍の施政下におかれた。従って沖縄はこの日を「屈辱の日」と呼んでいる、
上原元沖縄開発庁長官は当時を振り返っていう。
「トイレは、我々は“local native”という所しか使えなかったのです。日本人や外人は別です。これが私の運動の原点です」
そして沖縄を外したことは偶然ではない。日本側の意思が働いている。
私は『戦後史の正体』に次の記述をした。
「一九七九年、進藤栄一・筑波大学助教授(当時)が、米国の公文書館から驚くべき文書を発掘し、雑誌『世界』に「分割さ
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沖縄が日本の領土だと云うなら、沖縄の人々の気持ちを理解する努力がないのは、おかしなことだと思います。
沖縄は日本にとっての「サヴィニの女」そのものだ。私のように戯言をのたまうことを好む輩ですら率直にしてしまう。男に生まれて同朋の妻や娘がレイプされているのに黙って俯くようなフヌケに日本男児を名乗る資格は無い。我らが傀儡宰相殿は現在ルーシの地の訪問されてるそうだがタタールの軛を臥薪嘗胆して打ち払ったその気概、万分の一でも共感してほしいものだ。アレに恥という日本文化が理解できればだがね。
私の父は「日本の防衛に犠牲は必要なんだ」と信じています。そう聞いてびっくりしましたが、犠牲にされる側が黙って従う理由はないと思います。 私自身、子供やその世代のために犠牲にならなければいけない正当な理由があるなら考えますが、それ以外なら無理です。守ってもらってるんだかいいように使われてるんだか分からないモノのために犠牲になるなんて意味不明です。
4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会に参加しましたHM掲載http://www.office-fukuchi.jp/article/14800005.html
沖縄のことを思う時、お代官様が村の娘を所望する場面がいつも浮かんできます。娘はいやがっているのに、庄屋が間に立って「まあ、悪いようにはしないから。ほれほれ小判をこんなに頂いた」と父親を丸め込もうとするあの場面。こんな時代はもう終わったはずなのにその構図はそのまま残っています。沖縄が独立するなら応援するぞ。