記事へ戻る 中庸左派さん のコメント 中庸左派 >代議制民主主義は初めから民主政治を妨げる目的をもっていた。代議制民主主義という名称は民主政治という名称を含みながらもエリート支配と財産秩序を守る魔法の呪文だったのである。 民主主義はシステムの問題に過ぎず、その意味では表層的問題設定でしかないように思える。より根本的には「支配と被支配」という関係性の問題が、人間関係や政治を考える上では本質的ではなかろうか? 日本では、昔は選挙制度がよくないから、政権交代が起こらない、と言っていた。二大政党制にしないといけないから、中選挙区制から小選挙区制にすべき、と言われ小選挙区制度が導入されたが、政権交代が頻繁に発生することは、その後もなかった。 代議制民主主義にしても、小選挙区制度にしても、システムが想定通りに機能するとは限らない。それに加えて大衆民主主義は常に衆愚政治の危険性を内包している。 より根本的には、支配するものと従順に支配されるものという関係性が固定化される限り、どんなに民主主義システムが洗練されてもなにも変わりはしないのではないか。 問題の本質は、エリートによる統治や支配を従順に受け入れる被支配層と言い換えることも出来る。支配には必ずしも暴力装置は絶対的な要素ではない。それだけに従順な被支配層という根深い問題。 自らのアタマで考えない同調圧力や横並び意識は日本社会の宿痾である。このような社会では、所謂「民主主義」などは、一層脆く、形骸化し易いのではないか? 自由で平等な良識ある社会には、最低限、ウソを見抜く論理的思考力や合理的精神は必要だと考えている。それさえあれば、単なる従順な被支配層という支配層の補完勢力に堕することは避けられよう。 ところで、民主主義から疎外された戦争国家ウクライナにおいて、反逆者として追放された親露派政治家ヴィクトル・メドヴェチュクの語る民主主義は含蓄に富んでいる。 https://iz.ru/1454275/viktor-medvedchuk/ukrainskii-sindrom-anatomiia-sovremennogo-voennogo-protivostoianiia 「ウクライナ人は、特定の政治家の支援、教育プログラムの変更、文化、および国営メディア放送によって、ロシア人に背を向けました。そして、あらゆる種類の西側および国際組織によって支持された民主的改革、前向きな変化を装って、すべてが去りました。 それを民主的なプロセスと呼ぶことは困難でした。親西側勢力の命令は、政治、メディア、経済、市民社会で簡単に確立されました。西洋の民主主義は、完全に非民主的な方法で確立されました。そして今日、これまで以上に問題が重要になっています。ウクライナの政治体制は民主主義ですか?」 「誰かが隣人と新しい世界を構築しようとしていると言いながら、戦争や核戦争など、何も関係なく自分の利益を押し通すだけなら、明らかに何も構築しません。これがウクライナのポロシェンコ元大統領の振る舞いであり、現在のゼレンスキー大統領の振る舞いですが、彼らだけではありません。これが、NATOの指導者と多くのアメリカとヨーロッパの政治家の行動です。」 「ゼレンスキーは、武力衝突の前に、彼の党の利益を押し進めて反対派を単に押しつぶし、平和を築きませんでした。ウクライナでは、平和とロシアとの良好な隣人関係について語った政治家、ジャーナリスト、公共活動家が、軍事衝突の前に抑圧され、彼らのメディアは法的根拠なく閉鎖され、彼らの財産は略奪されました。ウクライナ当局が法律と言論の自由を侵害したとして非難されたとき、その答えは、平和党は「裏切り者と宣伝者の集まり」であるというものでした。そして、民主的な西側はこの答えを満足させました。」 「そして、ここで疑問が生じます。平和と市民対話の党がある種の民主主義に適合しない場合、それは民主主義ですか? そして、おそらく、国を救うために、ウクライナ人は独自の民主主義の構築を開始し、西側のキュレーターなしで市民対話を開く必要があります。」 No.8 22ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「民主主義を防ぐ手段としての「代議制民主主義」、代議制民主主義という名称は民主政治とい... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
中庸左派 >代議制民主主義は初めから民主政治を妨げる目的をもっていた。代議制民主主義という名称は民主政治という名称を含みながらもエリート支配と財産秩序を守る魔法の呪文だったのである。 民主主義はシステムの問題に過ぎず、その意味では表層的問題設定でしかないように思える。より根本的には「支配と被支配」という関係性の問題が、人間関係や政治を考える上では本質的ではなかろうか? 日本では、昔は選挙制度がよくないから、政権交代が起こらない、と言っていた。二大政党制にしないといけないから、中選挙区制から小選挙区制にすべき、と言われ小選挙区制度が導入されたが、政権交代が頻繁に発生することは、その後もなかった。 代議制民主主義にしても、小選挙区制度にしても、システムが想定通りに機能するとは限らない。それに加えて大衆民主主義は常に衆愚政治の危険性を内包している。 より根本的には、支配するものと従順に支配されるものという関係性が固定化される限り、どんなに民主主義システムが洗練されてもなにも変わりはしないのではないか。 問題の本質は、エリートによる統治や支配を従順に受け入れる被支配層と言い換えることも出来る。支配には必ずしも暴力装置は絶対的な要素ではない。それだけに従順な被支配層という根深い問題。 自らのアタマで考えない同調圧力や横並び意識は日本社会の宿痾である。このような社会では、所謂「民主主義」などは、一層脆く、形骸化し易いのではないか? 自由で平等な良識ある社会には、最低限、ウソを見抜く論理的思考力や合理的精神は必要だと考えている。それさえあれば、単なる従順な被支配層という支配層の補完勢力に堕することは避けられよう。 ところで、民主主義から疎外された戦争国家ウクライナにおいて、反逆者として追放された親露派政治家ヴィクトル・メドヴェチュクの語る民主主義は含蓄に富んでいる。 https://iz.ru/1454275/viktor-medvedchuk/ukrainskii-sindrom-anatomiia-sovremennogo-voennogo-protivostoianiia 「ウクライナ人は、特定の政治家の支援、教育プログラムの変更、文化、および国営メディア放送によって、ロシア人に背を向けました。そして、あらゆる種類の西側および国際組織によって支持された民主的改革、前向きな変化を装って、すべてが去りました。 それを民主的なプロセスと呼ぶことは困難でした。親西側勢力の命令は、政治、メディア、経済、市民社会で簡単に確立されました。西洋の民主主義は、完全に非民主的な方法で確立されました。そして今日、これまで以上に問題が重要になっています。ウクライナの政治体制は民主主義ですか?」 「誰かが隣人と新しい世界を構築しようとしていると言いながら、戦争や核戦争など、何も関係なく自分の利益を押し通すだけなら、明らかに何も構築しません。これがウクライナのポロシェンコ元大統領の振る舞いであり、現在のゼレンスキー大統領の振る舞いですが、彼らだけではありません。これが、NATOの指導者と多くのアメリカとヨーロッパの政治家の行動です。」 「ゼレンスキーは、武力衝突の前に、彼の党の利益を押し進めて反対派を単に押しつぶし、平和を築きませんでした。ウクライナでは、平和とロシアとの良好な隣人関係について語った政治家、ジャーナリスト、公共活動家が、軍事衝突の前に抑圧され、彼らのメディアは法的根拠なく閉鎖され、彼らの財産は略奪されました。ウクライナ当局が法律と言論の自由を侵害したとして非難されたとき、その答えは、平和党は「裏切り者と宣伝者の集まり」であるというものでした。そして、民主的な西側はこの答えを満足させました。」 「そして、ここで疑問が生じます。平和と市民対話の党がある種の民主主義に適合しない場合、それは民主主義ですか? そして、おそらく、国を救うために、ウクライナ人は独自の民主主義の構築を開始し、西側のキュレーターなしで市民対話を開く必要があります。」 No.8 22ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 「民主主義を防ぐ手段としての「代議制民主主義」、代議制民主主義という名称は民主政治とい... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
民主主義はシステムの問題に過ぎず、その意味では表層的問題設定でしかないように思える。より根本的には「支配と被支配」という関係性の問題が、人間関係や政治を考える上では本質的ではなかろうか?
日本では、昔は選挙制度がよくないから、政権交代が起こらない、と言っていた。二大政党制にしないといけないから、中選挙区制から小選挙区制にすべき、と言われ小選挙区制度が導入されたが、政権交代が頻繁に発生することは、その後もなかった。
代議制民主主義にしても、小選挙区制度にしても、システムが想定通りに機能するとは限らない。それに加えて大衆民主主義は常に衆愚政治の危険性を内包している。
より根本的には、支配するものと従順に支配されるものという関係性が固定化される限り、どんなに民主主義システムが洗練されてもなにも変わりはしないのではないか。
問題の本質は、エリートによる統治や支配を従順に受け入れる被支配層と言い換えることも出来る。支配には必ずしも暴力装置は絶対的な要素ではない。それだけに従順な被支配層という根深い問題。
自らのアタマで考えない同調圧力や横並び意識は日本社会の宿痾である。このような社会では、所謂「民主主義」などは、一層脆く、形骸化し易いのではないか?
自由で平等な良識ある社会には、最低限、ウソを見抜く論理的思考力や合理的精神は必要だと考えている。それさえあれば、単なる従順な被支配層という支配層の補完勢力に堕することは避けられよう。
ところで、民主主義から疎外された戦争国家ウクライナにおいて、反逆者として追放された親露派政治家ヴィクトル・メドヴェチュクの語る民主主義は含蓄に富んでいる。
https://iz.ru/1454275/viktor-medvedchuk/ukrainskii-sindrom-anatomiia-sovremennogo-voennogo-protivostoianiia
「ウクライナ人は、特定の政治家の支援、教育プログラムの変更、文化、および国営メディア放送によって、ロシア人に背を向けました。そして、あらゆる種類の西側および国際組織によって支持された民主的改革、前向きな変化を装って、すべてが去りました。
それを民主的なプロセスと呼ぶことは困難でした。親西側勢力の命令は、政治、メディア、経済、市民社会で簡単に確立されました。西洋の民主主義は、完全に非民主的な方法で確立されました。そして今日、これまで以上に問題が重要になっています。ウクライナの政治体制は民主主義ですか?」
「誰かが隣人と新しい世界を構築しようとしていると言いながら、戦争や核戦争など、何も関係なく自分の利益を押し通すだけなら、明らかに何も構築しません。これがウクライナのポロシェンコ元大統領の振る舞いであり、現在のゼレンスキー大統領の振る舞いですが、彼らだけではありません。これが、NATOの指導者と多くのアメリカとヨーロッパの政治家の行動です。」
「ゼレンスキーは、武力衝突の前に、彼の党の利益を押し進めて反対派を単に押しつぶし、平和を築きませんでした。ウクライナでは、平和とロシアとの良好な隣人関係について語った政治家、ジャーナリスト、公共活動家が、軍事衝突の前に抑圧され、彼らのメディアは法的根拠なく閉鎖され、彼らの財産は略奪されました。ウクライナ当局が法律と言論の自由を侵害したとして非難されたとき、その答えは、平和党は「裏切り者と宣伝者の集まり」であるというものでした。そして、民主的な西側はこの答えを満足させました。」
「そして、ここで疑問が生じます。平和と市民対話の党がある種の民主主義に適合しない場合、それは民主主義ですか? そして、おそらく、国を救うために、ウクライナ人は独自の民主主義の構築を開始し、西側のキュレーターなしで市民対話を開く必要があります。」
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