孫崎享のつぶやき
「民主主義を防ぐ手段としての「代議制民主主義」、代議制民主主義という名称は民主政治という名称を含みながらもエリート支配と財産秩序を守る魔法の呪文。国民の参加を選挙だけに制限する行為は、啓蒙時代にかちとった民主政治の根本的な考えと矛盾する。
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コメント
コメントを書く日本や米国やEUや英国等の選挙と権力の醜い振る舞いを見ていると中国の選挙の無い制度が遥かに上等に見えます。
>>1
日本は既に憲法を無視した国になってますよ。
順法精神、最近コンプライアンスとか言ってるが、が乏しい日本人に貴殿はどんな文章を与えたいんでしょうかね?
>>4
素敵な記事ですね。
採り上げ恐縮です。「正体」シリーズに いずれ「民主主義の正体」も加わるでしょうか?!
現状の「民主主義」がロクでもない事はあきらかですが、
では、民衆が選挙エリートたちから主体を取りもどしたら
もっとよい国になるかといえば、おそらく否。
民衆なんて一皮むけば、選挙エリート以上にロクでもない
人種です。
汚いところをたくさん持っているガリガリ亡者です。
国政や外交に口を出さないほうがよい、というひとが
ほとんどです。
むずかしいですね。
うまくやっている独裁国家がいちばんいいということになりますね。
いやー、本当にむずかしい。
>代議制民主主義は初めから民主政治を妨げる目的をもっていた。代議制民主主義という名称は民主政治という名称を含みながらもエリート支配と財産秩序を守る魔法の呪文だったのである。
民主主義はシステムの問題に過ぎず、その意味では表層的問題設定でしかないように思える。より根本的には「支配と被支配」という関係性の問題が、人間関係や政治を考える上では本質的ではなかろうか?
日本では、昔は選挙制度がよくないから、政権交代が起こらない、と言っていた。二大政党制にしないといけないから、中選挙区制から小選挙区制にすべき、と言われ小選挙区制度が導入されたが、政権交代が頻繁に発生することは、その後もなかった。
代議制民主主義にしても、小選挙区制度にしても、システムが想定通りに機能するとは限らない。それに加えて大衆民主主義は常に衆愚政治の危険性を内包している。
より根本的には、支配するものと従順に支配されるものという関係性が固定化される限り、どんなに民主主義システムが洗練されてもなにも変わりはしないのではないか。
問題の本質は、エリートによる統治や支配を従順に受け入れる被支配層と言い換えることも出来る。支配には必ずしも暴力装置は絶対的な要素ではない。それだけに従順な被支配層という根深い問題。
自らのアタマで考えない同調圧力や横並び意識は日本社会の宿痾である。このような社会では、所謂「民主主義」などは、一層脆く、形骸化し易いのではないか?
自由で平等な良識ある社会には、最低限、ウソを見抜く論理的思考力や合理的精神は必要だと考えている。それさえあれば、単なる従順な被支配層という支配層の補完勢力に堕することは避けられよう。
ところで、民主主義から疎外された戦争国家ウクライナにおいて、反逆者として追放された親露派政治家ヴィクトル・メドヴェチュクの語る民主主義は含蓄に富んでいる。
https://iz.ru/1454275/viktor-medvedchuk/ukrainskii-sindrom-anatomiia-sovremennogo-voennogo-protivostoianiia
「ウクライナ人は、特定の政治家の支援、教育プログラムの変更、文化、および国営メディア放送によって、ロシア人に背を向けました。そして、あらゆる種類の西側および国際組織によって支持された民主的改革、前向きな変化を装って、すべてが去りました。
それを民主的なプロセスと呼ぶことは困難でした。親西側勢力の命令は、政治、メディア、経済、市民社会で簡単に確立されました。西洋の民主主義は、完全に非民主的な方法で確立されました。そして今日、これまで以上に問題が重要になっています。ウクライナの政治体制は民主主義ですか?」
「誰かが隣人と新しい世界を構築しようとしていると言いながら、戦争や核戦争など、何も関係なく自分の利益を押し通すだけなら、明らかに何も構築しません。これがウクライナのポロシェンコ元大統領の振る舞いであり、現在のゼレンスキー大統領の振る舞いですが、彼らだけではありません。これが、NATOの指導者と多くのアメリカとヨーロッパの政治家の行動です。」
「ゼレンスキーは、武力衝突の前に、彼の党の利益を押し進めて反対派を単に押しつぶし、平和を築きませんでした。ウクライナでは、平和とロシアとの良好な隣人関係について語った政治家、ジャーナリスト、公共活動家が、軍事衝突の前に抑圧され、彼らのメディアは法的根拠なく閉鎖され、彼らの財産は略奪されました。ウクライナ当局が法律と言論の自由を侵害したとして非難されたとき、その答えは、平和党は「裏切り者と宣伝者の集まり」であるというものでした。そして、民主的な西側はこの答えを満足させました。」
「そして、ここで疑問が生じます。平和と市民対話の党がある種の民主主義に適合しない場合、それは民主主義ですか? そして、おそらく、国を救うために、ウクライナ人は独自の民主主義の構築を開始し、西側のキュレーターなしで市民対話を開く必要があります。」
>>9
>まず、日本国憲法は、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」
とはじまるので、ここを改正しない限り(必要条件)、日本では選挙も代議制もなくならない。
たぶん9条改正よりもはるかにむずかしい。その意味で、今回記事は一種の革命思想であり、
ダレもそんなギロンしてないと思いますよ。
キミとか、change氏ような人が多いのは知っているから、私は良い方向には日本は変わらないな、と考えているだけ。
>>11
>人権が保障されるなら、なにも民主主義でなく、哲人政治でも独裁でもいっこうにかまわない。
私も同感です。
しかし、私ならもう一つ加える。最初に「戦争をせず、」と。戦争国家アメリカ帝国やウクライナが説く、人権も民主主義もウソに過ぎない。それを軽信するヒトビトを私は凡庸な悪と読んでいます。
>>16
ほう、では戦争は人権の否定だと。
では、何故小学生君は、アメリカ帝国によるウクライナへの武器供与に反対しないのか?
ウクライナがソレを望んでいるとか、凡庸な悪そのものの言い訳は止しなさい。ウクライナからは国民が皆逃げ出していて、アメリカ帝国等の後ろ盾によるゼレンスキー独裁により戦争が行われているのだから。
この現実が見えないのならば、学力以前の問題。小学生より前から、やり直したらいかがか?
まさに この論と符合するN.チョムスキー教授の説明が思い出される-
”民主主義とは、ひとびとが役者ではなくて観客として参加するシステムであるというんですね。ひとびとは定期的に投票箱に一票を投じて、指導者層のなかから、自分たちの導き手を選出する権利をもっている。投票が終わると、ひとびとは自分の家へ帰ってめいめいの仕事に戻り、ものを消費し、テレビを観て料理を作り、ひとつとくに大切なこととして、人に迷惑をかけないようにする、そういった存在とみなされているわけです。これが、民主主義なのです。
それにひびが入るときの(権力のがわの)反応がおもしろいですね...実際、六〇年代には、世界中ほとんどいたるところ-ヨーロッパ、米国、日本など-で、大きな反体制運動が起こりました...そして社会民主党系のエリートたちは、この動静に不安を覚えました。三極委員会が生まれたのは、こういう情勢を背景としてのことだったのです”━「チョムスキー、世界を語る」(2003)
以下、関連記事-
RT 22 Jan, 2023
ダボス会議の支配者層は彼等が本当に恐れているのは誰かを明らかにする
https://www.rt.com/news/570287-davos-global-elites-fear/
今年の世界経済フォーラム(WEF)は、「未来を支配する」ことを呼びかけ、グローバルエリートに対する不信感が高まっているとして右派のポピュリストを非難した-
コラムニスト/政治戦略家 レイチェル・マースデン記
ダボスで開催される世界経済フォーラムは、かつては「見る場所」「見られる場所」だったが、世界で最も裕福で影響力のある人々が、世界のための共通のアジェンダをめぐって歓談するというアイデアは、その輝きを失ってきた。出席者が売り込む政策が一般市民の間に懐疑的な見方を呼び起こしているからだ。
事実上のフロントマンであるフォーラム創設者のクラウス・シュワブ氏は、ここ数年、次々と不愉快なヒットを出している。シュワブ氏は、この組織がいかにして政府の中枢に入り込み、勧誘活動を行うかを語っている。 彼は「グレート・リセット」という言葉を作り、それに関する本を2020年7月のCovid-19パンデミックの数カ月後に出版し、世界の多くが政府の命令でロックダウンされている時に、パンデミックを「我々の世界を再構築」するためのインスピレーションとして使うことを提唱した-そうした政府のメンバーの多くはダボスの常連である。ロックダウンを恒久的なライフスタイルに変えようという意欲はほとんどなかったが、ここでクラウスは、古い生活を葬り去ることの利点を宣伝した。すべては、WEFがコロナ危機の前に、すでに2019年10月にニューヨークで開催した「イベント201」という そのシミュレーション演習を口実にしたものであった。「この演習では、ビジネス、政府、セキュリティ、公衆衛生のリーダーが集まり、仮想のグローバル・パンデミック・シナリオに対処します」と、WEFは当時発表した。何とも不気味な話である。
ダボス会議のアジェンダを通じ、マネーロンダリングされた不透明な金銭的利益に関して、トップダウンの世界的な調整を行うという支配者層の絶え間ない努力が、庶民を苛立たせているのである。今年のダボス会議には、G7の首脳が一人しか出席しなかったことが、いかにダボス会議が低く見られているかを物語っている。カナダ西部のアルバータ州のダニエル・スミス首相は、昨年10月の内閣の就任式の後、WEFについて次のように述べた。「億万長者が政治家をどれだけ支配しているかを自慢するのは不快だ。政府を動かすべきは、彼らに投票した人たちだ。率直に言って、その組織が政治指導者をどれだけコントロールしているかを自慢するのを止めるまでは、私はその組織と関わりを持つことに興味はない」
今年、グローバリズムの大音量の中、祭壇での説教に招かれた人々は、群衆がどのような説教を聞きたいかをよく知っているようだった。ドイツのオラフ・ショルツ首相は、欧米人、特に欧州人が日常生活で自国政府の政策の高いコストと格闘しているときに、選挙で選ばれたわけではない地球の支配者たちと一緒にいるところを見られるのは良いことだと考えた唯一のG7リーダーであったようだ。ショルツ氏は、EUが制裁を通じてロシアのエネルギーを事実上遮断した後、実行可能なバックアッププランもないまま、ドイツ経済を危機に陥れた高くつくグリーン・ディール政策を倍加させたのだ。
「最も重要なことは、気候ニュートラルな経済への転換、つまり今世紀の基本的な課題が、現在まったく新しいダイナミズムを帯びてきていることです。ロシアとの戦争と、その結果もたらされた私たち欧州人に対する変革の圧力にかかわらず、です。ビジネスリーダーであれ気候変動活動家であれ、安全保障政策の専門家であれ投資家であれ、私たち一人ひとりにとって、未来が自然エネルギーにのみ属していることは、今や極めて明白なことなのです。コスト面、環境面、安全面、そして長い目で見れば、自然エネルギーは最高のリターンを約束するからです」とショルツは演説で述べた。
一方、ドイツは石炭火力発電所を再稼働させ、原発の段階的廃止を再考している。ポルトガルやノルウェーからの水素輸入など、少なくとも2030年まで軌道にすら乗らないグリーン・イニシアティブがある中で、ドイツの産業が今後どう機能するかを心配すべきだろう。だが、ショルツ氏はダボス会議の壇上で、EUの対ロシア エネルギー制裁の結果によるドイツが直面している経済的な不確実性を、グリーンウォッシュするために使った。つまり、グリーンな夢と希望を世界の投資家にアピールすることで、現実の問題から目をそらさせたのである。
ダボス会議では、グリーンウォッシングに加え、味方を装った「『懸念』荒らし」を通じた反民主主義的なイニシアティブの売り込みが行われた。パネルディスカッションでは、「不信感を払拭する」というテーマで行われたが、実質は「どうすれば人々が我々の戯言に納得してくれるのか?」であった。同名のグローバル・コミュニケーション・ファームのCEOであるリチャード・エデルマンは、事態の悪化は右派のせいだと非難した。「私の仮説では、右派のグループはNGOの権利を奪うのに実にうまくやったと思う。彼らは資金源に異議を唱えた。彼らは あなた方とビル・ゲイツやジョージ・ソロスとの関連も指摘した。彼らは あなた方をグローバリストと言うが、本当はその反対で地元主義者だ」と嘆いた。しかし、エデルマン氏は、ダボスの出席者らが「地元」のイベントにプライベートジェットを飛ばす必要はないことには触れないのだ。彼が本当に攻撃しているのは反体制派であり、その多くはたまたまポピュリストであり右寄りなのである。そして、多くのNGOを通して洗浄された特別な利益を、彼らが徹底的に調べ上げているという事実が、エデルマンのようなPRのプロの仕事をより困難なものにしていることは間違いない。
「エデルマンは卑劣な人間だ。彼の仕事は文字通り、プロの嘘つきだ!」億万長者のTeslaとSpaceXの創設者であるイーロン・マスクは、物議を醸したソーシャルメディア プラットフォームの購入とその後の強引な検閲ポリシーの撤回によって、ダボス会議の観衆に必ずしも好かれていない、とつぶやいた。シュワブ氏が基調講演で「未来を支配する」と呼びかけたことを嘲笑ったマスク氏は、「『未来を支配する』なんて不吉でも何でもない...WEF/Davosなんてどうなってるんだ?地球のボスにでもなろうとしてるのか!?」その後、マスクはTwitterで世論調査を行い、WEFが「世界を支配する」べきかという質問に対して、240万人の回答者のうち86%が「ノー」と答えたことを明らかにした。
WEFの広報担当者は、2015年以来、マスクはこの集まりに招待されていないと述べた。マスク氏は、出席に関心がないことを認めた。「ダボス会議の招待を辞退した理由は、彼らが極悪非道な策略を巡らせていると思ったからではなく、退屈そうだからです(笑)」
退屈、確かに-皆がうなずいて同意するカルトの会議が居眠り祭りであるのと同じように。ダボス会議で面白いことがあったのは、かつてドナルド・トランプ前米大統領が現れ、ダボス会議の気候変動に関するマントラを否定したときだった。「このメッセージは、今年のテーマが『持続可能な社会を実現するステークホルダー』である世界経済フォーラムにおける公式戦略からの鋭い逸脱を表している」と2020年1月にCNNは書いている。
しかし、誰か彼らに尋ねたのだろうか?これらのエリートは、他の誰でもない自分たちの利益の受益者を代表しているだけだ。その利益とは経済的なものであり、彼らの株主のためのものだ-それゆえフォーラムの名前にもなっているのだ。もし、一般市民が、ダボス会議から出るものは全て自分達のレンズを通して精査されるべきだという事実に目覚めたとしたら、それは、自由、民主主義、国家主権にとって良いことであるとしか言いようがない。