記事へ戻る 中庸左派さん のコメント 中庸左派 >米国式民主主義こそ専制主義 こうした見解は、システムとしての民主主義の内実を問う問題意識と考える。もっとも、最近のアメリカでは不正選挙「システム」の問題が指摘されているくらいだから、制度としての民主主義の信頼も揺らいでいる。 とはいえ、民主主義の問題とは、不正選挙の問題を横に置くなら、大衆民主主義状況下の支配被支配関係の問題だと考えている。 社会契約として民主主義を機能させるためには、どうしても一定の強制力は不可欠だろう。権力による社会契約の強制としての支配と服従、それこそが民主主義の一側面であろう。そして、その権力の正当性を担保するものが、有権者による投票である。 しかし、現実はそのような積極的な選択や意思表示としての投票という理想形になってはいない。国政選挙ですら、傾向として投票率は下がり続けている。地方選挙では無投票当選も増えている。 こうした傾向は、私から見るなら、支配される、服従することへの抵抗感の欠如だと考えている。それを別の表現で言うなら、権力者に対する消極的、或いは積極的な「信頼」が高い、ということではないか? それはコロナ茶番に対する疑念の欠如にも現れていたし、最近ではロシアウクライナ戦争における一方的なロシア悪玉論にも見られた。ロシア悪玉論はアメリカ帝国等による武器供与正当化論となり、それ故に戦争継続正当化論に堕している、という意味で真に罪深い思考様式なのであるが、そのことに、こういう論者は思い至らない。 直近では、中国による気球「偵察」機に対する米軍機による撃墜事件。こんなもの、私はニュースを見た瞬間に、あり得ない、と感じたが、どうも世間は「中国けしからん」となっているようである。しかし、ちょっと考えれば、アカラサマに目立つ物体で「偵察」するなど、ありえない話。偵察衛星だのドローンだの全盛の時代にワザワザ気球などという目立つもの使うものか?という直感であった。 こういうメディアによる一方的決めつけ、プロパガンダは今に始まったことではないが、対立を煽る一方的見方が「大本営発表」となったら、事は笑い話では済まない。 対立を戦争に発展させないためには、戦争を正当化する「民主主義」の欺瞞や、対立を煽る主流権威筋メディアへの疑い、というような形で、「疑う」という姿勢は大事だと考えている。別の言い方をするなら、メディアを含む権力を簡単に信じない、ということだ。 話は変わって、民主主義の一形態といえば、デモ行進。直接民主主義の行使とも言われる。しかし、どんな主張も結局は何を主張するかが一番大事。 その観点から違和感を禁じえない集会、デモの案内を受け取った。 「さようなら原発1000万人アクション」の主催により、この2月24日に「ロシアのウクライナ侵攻から1年 ウクライナに平和を! 2・24日比谷野音集会&デモ」を行うという。私はかつてこの枠の集会、デモには何度も参加してきたが、今回は行く気はしない。 何故ならスローガンには「ロシアは即時 、撤退せよ ! 原発に手を出すな!核使用恫喝許さない!すべての戦争と戦争準備に反対!」しかない。違和感。 え?アメリカ帝国等の武器供与に反対しないの?というのが率直な印象だ。 もっと言えば、ロシアの即時撤退はありえないだろう。 西側の武器供与が戦争長期化の根本要因なのだから、そこを無視して外交交渉も停戦和平もありえない。「すべての戦争と戦争準備に反対!」と言いながら、何故にアメリカ帝国等の武器供与に反対しないのか?論理矛盾しているとは考えないのか? アメリカ帝国や西側の論理に乗っかったデモ行進をしても、停戦和平を求めるのか、戦争継続(ロシア弱体化)を求めているのか、全く趣旨が分からない。 結局、こういう意味不明ぶりも、真の民主主義というものがあるなら、ニセ民主主義の陥穽という気がするのである。 No.16 21ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 読み人知らず、論評「■今、民主主義が求められているのか?■米国式民主主義こそ専制主義■世界... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
中庸左派 >米国式民主主義こそ専制主義 こうした見解は、システムとしての民主主義の内実を問う問題意識と考える。もっとも、最近のアメリカでは不正選挙「システム」の問題が指摘されているくらいだから、制度としての民主主義の信頼も揺らいでいる。 とはいえ、民主主義の問題とは、不正選挙の問題を横に置くなら、大衆民主主義状況下の支配被支配関係の問題だと考えている。 社会契約として民主主義を機能させるためには、どうしても一定の強制力は不可欠だろう。権力による社会契約の強制としての支配と服従、それこそが民主主義の一側面であろう。そして、その権力の正当性を担保するものが、有権者による投票である。 しかし、現実はそのような積極的な選択や意思表示としての投票という理想形になってはいない。国政選挙ですら、傾向として投票率は下がり続けている。地方選挙では無投票当選も増えている。 こうした傾向は、私から見るなら、支配される、服従することへの抵抗感の欠如だと考えている。それを別の表現で言うなら、権力者に対する消極的、或いは積極的な「信頼」が高い、ということではないか? それはコロナ茶番に対する疑念の欠如にも現れていたし、最近ではロシアウクライナ戦争における一方的なロシア悪玉論にも見られた。ロシア悪玉論はアメリカ帝国等による武器供与正当化論となり、それ故に戦争継続正当化論に堕している、という意味で真に罪深い思考様式なのであるが、そのことに、こういう論者は思い至らない。 直近では、中国による気球「偵察」機に対する米軍機による撃墜事件。こんなもの、私はニュースを見た瞬間に、あり得ない、と感じたが、どうも世間は「中国けしからん」となっているようである。しかし、ちょっと考えれば、アカラサマに目立つ物体で「偵察」するなど、ありえない話。偵察衛星だのドローンだの全盛の時代にワザワザ気球などという目立つもの使うものか?という直感であった。 こういうメディアによる一方的決めつけ、プロパガンダは今に始まったことではないが、対立を煽る一方的見方が「大本営発表」となったら、事は笑い話では済まない。 対立を戦争に発展させないためには、戦争を正当化する「民主主義」の欺瞞や、対立を煽る主流権威筋メディアへの疑い、というような形で、「疑う」という姿勢は大事だと考えている。別の言い方をするなら、メディアを含む権力を簡単に信じない、ということだ。 話は変わって、民主主義の一形態といえば、デモ行進。直接民主主義の行使とも言われる。しかし、どんな主張も結局は何を主張するかが一番大事。 その観点から違和感を禁じえない集会、デモの案内を受け取った。 「さようなら原発1000万人アクション」の主催により、この2月24日に「ロシアのウクライナ侵攻から1年 ウクライナに平和を! 2・24日比谷野音集会&デモ」を行うという。私はかつてこの枠の集会、デモには何度も参加してきたが、今回は行く気はしない。 何故ならスローガンには「ロシアは即時 、撤退せよ ! 原発に手を出すな!核使用恫喝許さない!すべての戦争と戦争準備に反対!」しかない。違和感。 え?アメリカ帝国等の武器供与に反対しないの?というのが率直な印象だ。 もっと言えば、ロシアの即時撤退はありえないだろう。 西側の武器供与が戦争長期化の根本要因なのだから、そこを無視して外交交渉も停戦和平もありえない。「すべての戦争と戦争準備に反対!」と言いながら、何故にアメリカ帝国等の武器供与に反対しないのか?論理矛盾しているとは考えないのか? アメリカ帝国や西側の論理に乗っかったデモ行進をしても、停戦和平を求めるのか、戦争継続(ロシア弱体化)を求めているのか、全く趣旨が分からない。 結局、こういう意味不明ぶりも、真の民主主義というものがあるなら、ニセ民主主義の陥穽という気がするのである。 No.16 21ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 読み人知らず、論評「■今、民主主義が求められているのか?■米国式民主主義こそ専制主義■世界... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
こうした見解は、システムとしての民主主義の内実を問う問題意識と考える。もっとも、最近のアメリカでは不正選挙「システム」の問題が指摘されているくらいだから、制度としての民主主義の信頼も揺らいでいる。
とはいえ、民主主義の問題とは、不正選挙の問題を横に置くなら、大衆民主主義状況下の支配被支配関係の問題だと考えている。
社会契約として民主主義を機能させるためには、どうしても一定の強制力は不可欠だろう。権力による社会契約の強制としての支配と服従、それこそが民主主義の一側面であろう。そして、その権力の正当性を担保するものが、有権者による投票である。
しかし、現実はそのような積極的な選択や意思表示としての投票という理想形になってはいない。国政選挙ですら、傾向として投票率は下がり続けている。地方選挙では無投票当選も増えている。
こうした傾向は、私から見るなら、支配される、服従することへの抵抗感の欠如だと考えている。それを別の表現で言うなら、権力者に対する消極的、或いは積極的な「信頼」が高い、ということではないか?
それはコロナ茶番に対する疑念の欠如にも現れていたし、最近ではロシアウクライナ戦争における一方的なロシア悪玉論にも見られた。ロシア悪玉論はアメリカ帝国等による武器供与正当化論となり、それ故に戦争継続正当化論に堕している、という意味で真に罪深い思考様式なのであるが、そのことに、こういう論者は思い至らない。
直近では、中国による気球「偵察」機に対する米軍機による撃墜事件。こんなもの、私はニュースを見た瞬間に、あり得ない、と感じたが、どうも世間は「中国けしからん」となっているようである。しかし、ちょっと考えれば、アカラサマに目立つ物体で「偵察」するなど、ありえない話。偵察衛星だのドローンだの全盛の時代にワザワザ気球などという目立つもの使うものか?という直感であった。
こういうメディアによる一方的決めつけ、プロパガンダは今に始まったことではないが、対立を煽る一方的見方が「大本営発表」となったら、事は笑い話では済まない。
対立を戦争に発展させないためには、戦争を正当化する「民主主義」の欺瞞や、対立を煽る主流権威筋メディアへの疑い、というような形で、「疑う」という姿勢は大事だと考えている。別の言い方をするなら、メディアを含む権力を簡単に信じない、ということだ。
話は変わって、民主主義の一形態といえば、デモ行進。直接民主主義の行使とも言われる。しかし、どんな主張も結局は何を主張するかが一番大事。
その観点から違和感を禁じえない集会、デモの案内を受け取った。
「さようなら原発1000万人アクション」の主催により、この2月24日に「ロシアのウクライナ侵攻から1年 ウクライナに平和を! 2・24日比谷野音集会&デモ」を行うという。私はかつてこの枠の集会、デモには何度も参加してきたが、今回は行く気はしない。
何故ならスローガンには「ロシアは即時 、撤退せよ !
原発に手を出すな!核使用恫喝許さない!すべての戦争と戦争準備に反対!」しかない。違和感。
え?アメリカ帝国等の武器供与に反対しないの?というのが率直な印象だ。
もっと言えば、ロシアの即時撤退はありえないだろう。
西側の武器供与が戦争長期化の根本要因なのだから、そこを無視して外交交渉も停戦和平もありえない。「すべての戦争と戦争準備に反対!」と言いながら、何故にアメリカ帝国等の武器供与に反対しないのか?論理矛盾しているとは考えないのか?
アメリカ帝国や西側の論理に乗っかったデモ行進をしても、停戦和平を求めるのか、戦争継続(ロシア弱体化)を求めているのか、全く趣旨が分からない。
結局、こういう意味不明ぶりも、真の民主主義というものがあるなら、ニセ民主主義の陥穽という気がするのである。
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