中庸左派さん のコメント
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読み人知らず。論考「ウクライナ戦争にどう向き合うか」 今、ウクライナ戦争にどう向き合うかが問われている。その向き合い方によって、日本の進路は真逆なものになるのではないか。 ■二つの「東のウクライナ」 今日、ウクライナの惨劇には言葉を失う。国そのものが廃墟になり、その出口が見えない。 このウクライナの悲惨を見ながら、そこに近未来の日本の姿を見、警鐘が鳴らされている。 岸田首相は、今日のウクライナに明日の東アジアを見て、防衛力の強化を訴えた。 そこで想定されているのは、中国による「台湾有事」だ。それに対抗して、「反撃能力」が言われ、「専守防衛」が古語にされながら、防衛費の倍増が当然のこととしてまかり通っている。 一方、「東のウクライナ」には、全く異なるもう一つの意味がある。それは、ウクライナのように、米国の代人に押し立てられて戦争するなという意味だ。 同じ「東のウクライナ」でも、全く違った意味。それは明らかに、ウクライナ戦争に対する見方の違いに由来している。
私はこのロシアによる特別軍事作戦について、当初こそ、ロシアも撤退するべきだ、というような喧嘩両成敗的言説を弄していた。それは、リベラル左派的無難論のようなロシア非難にも目配りしておく「中立」装いであった。
ただし、当初から私はウクライナに同情するキブンは薄かった。戦争を招いたウクライナ、ゼレンスキーを冷ややかに眺めていた。ハッキリ言えば、軍事力に劣るウクライナはどうせ早晩敗北する、だから、さっさとウクライナは降参して、停戦和平に動くが良い、という見方であった。
この当初からのウクライナに対する、私自身の冷ややかな眼差しは今も変わらない。否、それどころか、開戦より程なくして、ウクライナというクニを勉強するほどにその印象は強化され、今日に至る。ウクライナは想像以上にヒドイクニだという結論である。
従って、むしろ、今はロシアの特別軍事作戦の「意義」を考えている。
ともかく、今回の「詠み人」に賛同すると同時に、私自身は、ウクライナは明日の日本だ、だから国防強化だ、みたいな論に、まえから反対である。
この点について、ウクライナに特有な事象に焦点を当てて、むしろ、ウクライナと日本は違う、という意見を述べたい。
もともと、私はウクライナを冷ややかに見ていたし、今ではウクライナの荒廃はハッキリ自業自得と分析している。
それは、主流権威筋メディアが、今は全く語らないウクライナの汚点、次の3点を理由としている。
①外国介入 これは、マイダンクーデターを主導したのがアメリカ帝国であったこと、そして今、ウクライナを戦場にしてアメリカ帝国等西側対ロシアの代理戦争に発展していることから、明白な事実。これにより、結果的にクリミア併合を招いた。
②融和失敗=ナショナリズム=ネオナチ これはもともとバンデーラ主義というナチズムに親和的な負の遺産があったところに、過剰な嫌ロ感情が相俟って、悪性ナショナリズムの勃興となり、現に「同居」している露系ウクライナ人の排斥政策を始めた。右派による露系労組会館焼き討ち虐殺など。
③内戦=露系ウクライナ人の虐殺 これは、2014年からのウクライナ東部ドンバス地域において正規軍、露系民兵による武力衝突により内戦状態突入。正規軍による露系ウクライナ人への砲撃が繰り返された。結果的に正規軍による露系ウクライナ人の虐殺となる。その延長線上にロシアによる特別軍事作戦がある。
この意味で、むしろ、民族解放闘争的支援をしているのが、ロシアによる特別軍事作戦である。
従って、ロシアの行動を大ロシア主義的侵略拡張戦争と見る向きは誤りだと、考えている。
何れにせよ、では、ウクライナの自業自得的荒廃を招いた3つの汚点が、我が日本にあるか?
私は①以外は無い、と考えている。①は日米安保やジャパンハンドラーの存在、即ち対米従属という外国介入の素地は認めざるをないが、②③はまだ問題ないと思う。
従って、日本はウクライナほどにはヒドくないし、日本はまだこれから戦争に巻き込まれない道を辿り続ける可能性は残っている、と考えている。
そのために、今回の「詠み人」が言うように、「われわれがあらゆる問題を考える時、常に日本を中心に置き、日本の幸せ、日本の利益のために、日本主体に考えることの重要」だと考えている。私の言葉により、解釈して言うなら、それは、ゼッタイに戦争をしない、戦争に巻き込まれないぞ、という固い決意に基づく思想と行動の重要性である。
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